人形浄瑠璃が「文楽」と呼ばれるようになるまでの江戸時代からの歴史 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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三味線の伴奏と共に節をつけてセリフを語る芸能に「浄瑠璃」

というものがありますが、それに人形劇を組み合わせた「人

形浄瑠璃」という江戸時代からの伝統芸能があります。

 

三味線が伴奏され、それと共に「太夫」と呼ばれる語り手が

場面や情景、そして人形の心理までをセリフにして、観客に

語り掛ける手法です。

 

江戸時代初期から人形浄瑠璃は人気を呼び、特に竹本義太夫

が小屋を開いた「竹本座」は近松門左衛門の作品を次々上演

して大人気を博しました。

 

次第に人形浄瑠璃は竹本座に限らず全国で大ブームとなりま

す。しかしブームになり過ぎたのがいけなかったのか、江戸

後期になると陰りが見え始めます。

 

やがて竹本座も閉じられてしまい、人形浄瑠璃の人気はどん

どん落ちてしまいました。

 

しかし、悪いことも、そう長くは続きません。浄瑠璃の稽古

場を開いた「植村文楽軒」が再び興行を始めました。

 

文化年間、大坂の高津橋南詰に「文楽座」をつくり、人気を

復活させたのです。やがて人形浄瑠璃のブームも、再興して

行ったのです。

 

この「文楽座」は劇団及び劇場の名でしたが、大正時代にな

ると人形浄瑠璃そのものを「文楽」と呼ぶようになり、今で

はそれが正式名称となっているのでした。