天武天皇が「土下座禁止法」という法令をあえて出した裏側 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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「土下座禁止法」なる今の時代で考えたら仰天の法令を出し

たのが、天武天皇です。つまり同天皇が禁止するまで、土下

座が当たり前だったということです。

 

悪いことをしたから土下座をするというのでなく、土下座が当

たり前のあいさつとして行なわれていたわけです。

 

邪馬台国の時代、すでに「身分の高い者に対して膝を地面に

つけて、時にはおでこまでも地面にすりつけるようにして会話

をする」というような記述が、『魏志倭人伝』にあります。

 

実際に自分より身分の高い人には恭順の意を示すために土

下座であいさつをし、膝を地面につけて会話もするという習慣

が、少なくとも邪馬台国にはあったそうなのです。

 

大和国家が誕生してからもその習慣は広がり、やがて同等の

身分でも土下座をしてあいさつをするようになりました。

 

あまりに効率が悪く非合理的なため、やめようという呼びかけ

は、政府の方からも何度かありました。しかしそれは、あくまで

呼びかけ。要請でした。やはりそれまで続けていたので、上の

身分の者に対して単なるお辞儀で済ますのは気が引けるし、

中にはそれを良く思わない保守的な上司もいたりするわけで

す。

 

そこで天武天皇は、法律によって土下座を禁止するという、か

なりの強硬手段に出たのでした。

 

天武天皇が忍者だった可能性が強いのは、何度も書いて来ま

した。かなり自由な生き方を前半生でしてきたわけです。そんな

天武天皇だからこそ、合理性や機能性、そしてより建設的なも

のを望んだのでしょう。

 

しかも、これも以前から書いていることですが、彼は血のつなが

りで言えば、恐らく女系天皇でもあります。実の父は高向玄理で、

母の宝皇女が離婚して舒明天皇と再婚したために父は舒明天皇

としてのみ後世に伝わっています。実母の宝皇女が皇極天皇と

して即位したため、即位を巡って壬申の乱に巻き込まれたのでし

た。

 

そんな中での即位だけに、天武天皇は改革をすることが何よりも

必要でした。堅苦しくて非合理的なものを取り除き、建設的な発想

の世の中にすることが、使命だったのです。律令制度を浸透させ

ながら、より広い意見を取り入れる。そのためには、身分の高い

者に対していちいち土下座をしながらあいさつなり会話をしていた

のでは、自分の意見も述べられません。

 

なので「土下座」という効率の悪い習慣は、強制的に禁止させなけ

ればいけなかったわけです。

 

その辺の天武天皇について解説した動画です。

 

 

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