言わなくても分かる? | 津軽三味線奏者 佐藤壽治の徒然日記

津軽三味線奏者 佐藤壽治の徒然日記

主に佐藤壽治の日記、重造会の活動など紹介。

宣伝活動、演奏やお稽古について書くこともありますが、大半は日々気が付いた事を書いています。

余計な記事は読みたくない方もいるとは思いますが、お付きあいよろしくお願い致しますm(_ _)m

ブログを御覧いただきありがとうございます。津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

「そんなこと言わなくても分かるだろう」

 

 

現代だとパワハラとも取られるセリフです。

あまり印象は良くないですよね。

でも意外と分からない事ってたくさんあるのを知ってますか?と問いたい気持ちもあります。

全知全能なひとっていないわけで、それなりに無知を持ちながら誰しも生活してると思うんです。

 

 

教えないと分からない人は悪なのか

 

 

特殊なことであろうが、簡単なことであろうが教えないと分からない事って存在します。

ノウハウ、コツ、時短法、そういう事は経験して分かる事であって、考えてすぐに思いつく事ではありません。

ある日、突然ひらめいて身に着けた事の方が圧倒的に多いはず。

見た瞬間に気付いた、というのは人の作業の効率の悪さの発見と批判だったりして、今からこれをやりますよと言われてすぐにコツを掴む人って子供の頃に大人がやっている姿を見ていた人や記憶の中で何度も繰り返し思い出して過ごしていた人だけだと思います。

ですから、人には教える事が必要になるので悪ではありません。

 

 

教えているのに分かってくれない人は悪なのか

 

 

わざとやらない人であれば悪ですよね。それは間違いありません。

でも何回やってもうまくいかない人もいます。

経験不足であったりする事がほとんどで、身体の動かし方がつかめなかったりするとすごく時間がかかります。

 

 

お稽古中によくこの話をするのが、撥の持ち方についてです。

持ちにくい、手が痛くなる、三味線の撥の持ち方って変わった持ち方ですもんね。

演奏中に各指の役割を考えるとよくできた持ち方なんですけど、変わっているのは仕方ないです。

 

撥の持ち方をして使う道具って他にありますか?

 

箸もある意味独特な持ち方かもしれません。

スプーンやフォークもそうかもしれません。

鉛筆や筆の持ち方もそうかもしれません。

包丁やのこぎり、ドライバーなんかの工具も持ち方が独特かもしれません。

 

でも、撥の持ち方ってどうです?複雑すぎませんか?

わたしは複雑だよね、って思ってます。

慣れるまでに時間がかかって当たり前だと思ってますし、持てないという人が出ても不思議じゃありません。

 

教えているんですが、出来ないんです。

分かっているのか?という部分も、なんでこんな持ち方?!ってなってたら習いに来たひとの顔に表れますのでよく分かります。

さて、教えているのに分かってくれない人って悪でしょうか。

 

 

 

言わなくても分かってくれるひとって確かに存在します。

けど、その人も経験を積んでいるから察して動けるだけの話なので、そういう人を引き合いに出来る人間、出来ない人間と評価しているのであればお門違いの勘違いのコンコンチキもいいところです。

 

そしてそういう存在のひとは稀有なので、どんどん良い立場に据えていくべきです。

自分の立場よりさらに上にいける人を押し上げてあげれば、その人はさらに上の世界を開拓していくわけです。

自分では出来ない、見れない世界を表現し、伝えてくれる人になるかもしれないわけです。

 

教える事ってすごい事です。

ただ、「すべてを」教える事って出来ないんですよ。

昨日の記事にも関係あるんですが、やっぱり人と人は同じではないから出来ないんです。

難しいのは人、そういう事です。

 

 

 

 

 

津軽三味線は難しいです。

教えるのはもっと難しいです。

でもきちんと伝わった時、伝承として残った時、もっと素晴らしい音が生まれた時はうれしいものなんです。

習い事としてだけではなく、教えるという事の大切さを伝えたいと思います。

ではまた。