ブログを御覧いただきありがとうございます。津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
舞台で死ねれば本望。
そういう話はよく聞くし、そうやって亡くなった人も見て来てます。
しかし、生きるという事は簡単ではなく、守るべきものをどうやって守るかを考える事が長い人生の命題のひとつだと思います。
人生はそう簡単に積みあがるものではないから思った通りに生きるのは難しいのですが、それが少しでも実現できれば人生は楽しいという結論に至るのでしょう。
芸人生活、舞台活動の理想という意味を込めて深く考えさせられる言葉です。
飲む打つ買うの三拍子。
わたしは酒を飲みますし、賭け事も好きです。
女遊びはさすがに誘われない限りしませんが、キャバクラやスナック等々の女性のおもてなしを楽しむ場所は好きです。
賭け事はここぞの勝負が好きです。公営ギャンブルは宝くじを買って妄想するのが好きです。
あと釣り仲間と釣果勝負なんてのも好きですね。子供ともよく競ってますし、よく負けます。
芸の肥やしと芸能活動で容認されやすい「飲む打つ買う」のプチバージョンはそれなりに経験してきています。
でも、やっぱり大事なところを色々と決断して初めてやっていい事ですね。
酒がもとで体調を崩し舞台に穴をあけたり、活動自体が出来なくなったりしてはいけません。
やってもいいけどほどほどに。
どんな事でも塩梅(加減)が大事ってすごく深い言葉だと思います。
甲斐性って言葉を最近あまり聞きませんね。
二号さん、三号さんをきちんと養ってるような立派な遊び人って居なくなりました。
遊び人が立派って変なんですけど、甲斐性の有無が人物の物差しとして見られていた時代もあります。
甲斐性のあるひとになりたいものですが、誰でもなれるものでもありません。
甲斐性のあるひと=金をうなるほど持ってるひと、みたいな目線もありますが、それだけ商才に長けて活力が満ち溢れているひとでないとなれません。
甲斐性というのはその人の魅力を表すものであり、甲斐性のあるひとの周りには自然と人が集まり、仕事が集まります。
舞台人としては甲斐性を少々は発揮しないといけないんじゃないかなと思います。
わたしはどうか?と問われると…演奏した時に華はあるのかもしれないけれど、甲斐性は無いです。
舞台を降りてからの部分はそれほど魅力ある行動活動はしていません。
お稽古や教室は当然やるとして、ほかの部分は釣りに行って釣れないと悲しみ、釣れたと喜び、どちらも酒の肴にして酔っぱらって満足する。
普通のひとです。
さて、前置きが長くなりました。
実はわたくしコロナ禍前からアルバイトをしていました。
過去形なのは近々辞めるから。
コロナ禍で舞台活動が出来なかったための生活苦もありますが、舞台活動の存続に関しては前々から苦しい展開が続いていました。
家計の中で少しは固定の稼ぎが無いと子供たちを学校へ通わす事が出来なかったり、満足にご飯を食べる事が出来なかったりします。
そこまで苦しい状況では無かったですが、そこまで楽な状況では無いので時間が空いているならばと教室や舞台活動全般に邪魔にならない程度にアルバイトをしていました。
行く先がそのまま芸能関係なら良かったのですが、そういう仕事はほとんどありません。
あっても世間の風をまともに受けるので安定を期待できるものではありません。
地道ながらも安定的なものを選んで勤めていました。
勤めた先の人は良くしてくれる人もいて、辞めるにあたってショックを受けた人もいるようです。
それはそれで心苦しいのですが、本来は津軽の芸を広めるのが使命だと思って生活していますので一区切りしました。
今生の別れではないので、そのうちどこかで顔を合わせる事もあるだろうと理解してもらいたいです。
舞台活動を主にしたい人は大勢います。
実現できる人はわずかですが、実行している人はいます。
では収入は?と問われるとバランスが取れていない人がほとんどだと思います。
そういった部分を補ってくれるのが現代のプロダクションや芸能事務所という存在です。
所属する事で満足できない条件もあるかもしれませんが、妥協する条件をお互いに話し合えば少しは楽に舞台活動を続けることが出来ます。
契約うんぬん、大変な事はありますがそれなりに自分の歩む道で必要な条件を網羅してくれる組織なのです。
全てを自分の思うがままに。
思うがままにしたいから色んなところへ営業したり、企画を考えたり、人と会ったり、努力しているひとがほとんどです。
聡いひとは自分が注目を浴びているうちにそれらを将来まで継続して得られるように動きます。
世渡り上手、というと言葉は悪いですが、自然とそうなる人はいるものです。
自分がどういう人間になりたいか、を思い描いて突き進めばどんな人間でもいいと思うんです。
でも、それはひとりであるならばという条件付きである事も事実です。
家族があって生活破綻というのは一切世間が認めてくれないと思います。
家族を持つのであれば先ず養えるかどうかを自らに問うて、出来ていないのであれば出来るようにしなくてはならないし、その過程がある中で舞台活動をしていくべきと思います。
腕を磨く時間を問う話もあるにはありますが、寝てる間も腕は磨けるものだと思います。
実際、そういうひとが身近にいるのでよく分かります。
散歩している時、ご飯を食べている時ですら稽古は身に積めるもの。
頭の中身は限りがないもの、と考えられるひとは時間という制約すらなくなるのではないでしょうか。
さて、アルバイトをやめるわけですが…
あれ?おれさま大丈夫なんだろか?
ちょっと心配ですが、6月からがんばります。
ではまた。