ついついやりすぎてしまったり、


よかれと思ってやったことが 

 

 

 

 

“おせっかい”

 

“いらんことしい”

 

“ありがた迷惑”

 

 

 

なんて言葉も。

 

 

 

 

 

 

 

 

『荘子』内篇「應帝王(おうていおう)」篇

出てくるお話。




南海の帝王を儵(シュク)といい、

北海の帝王を忽(コツ)といい、

中央の帝王を渾沌(コントン)といった。

 

シュクとコツとがあるときコントンのところで

出会った。

コントンはとても手厚く彼らをもてなした。

 

シュクとコツはそのコントンの恩義に報いようと

相談をした。

「人間には七つの穴があって、

それで見たり聞いたり、食べたり息をしたりして

いるが、あの人にはそれがない。

ためしに、穴をあけてあげよう」

 

毎日、穴を一つずつあけていったところ、

七日目にコントンは死んでしまった。





一般的に「渾沌の話」として知られています。

 

数ある『荘子』の寓話の中でも、

とくにこの話は印象的で私は忘れられません。

たいへん衝撃的な結末です。

 

 

紀元前につくられた寓話とはいえ、

いまでも十分に通じるではないですか。

 

人の本質はそう簡単には変わらないようです。

 

 

 

 


「儵忽(しゅっこつ)」という熟語があります。

時間がきわめて短いさま。たちまち。

という意味です。

 

儵(シュク)も「忽(コツ)」も、

ともに寓意的な名だということがわかりますね。

 

「儵」は、現象が速やかに現れる形容。

「忽」は、現象が速やかに消える形容。

つまり有無の相対を示しています。

 


渾沌(コントン)は中央の帝王ということですが、

この「中央」とは、南と北の中間という意味では

ありますが、おそらくこれは、

空間的・位置的なことを言っているのではなく、

言わば“未分化のところ”であり、

“相対を越えた絶対の境”と捉えたほうがよさそう

ですね。

 

同時にそれは、

人為を加えない自然”でもあります。

 

 

 

「渾沌」という名からもわかるように、

渾沌とは、

元来は物の未分化の状態を形容するもので、

“人為的な差別を設けない自然のままの姿”

表します。

 

 

儵と忽のこざかしい賢(さか)しらが、

渾沌を死にいたらしめた──

 

 



ノーベル物理学者の湯川秀樹(1907-1981)氏は、

少年時代から『荘子』を愛読していたことでよく

知られます。

そして研究者となり、素粒子を考えているとき、

突然『荘子』の一節を思い出されたそうです。

 

それがこの渾沌の寓話。

湯川氏は次のように訳されています。



南方の海の帝王は儵(しゅく)

北海の帝王は忽(こつ)という名前である。

儵、忽ともに非常に速い、速く走ることを意味

しているようだ。

儵忽を一語にすると、たちまちとか束の間とか

いう意味である。

中央の帝王の名は渾沌(こんとん)である。

 

或るとき、北と南の帝王が、渾沌の領土にきて

一緒に会った。

この儵、忽の二人を、渾沌は心から歓待した。

儵と忽はそのお返しに何をしたらよいかと相談

した。

 

そこでいうには、人間はみな七つの穴をもって

いる。

目、耳、口、鼻。それらで見たり聞いたり、

食べたり呼吸をする。

ところが、この渾沌だけは何もないズンベラボー

である。

大変不自由だろう。気の毒だから御礼として、

ためしに穴をあけてみよう、と相談して、

毎日一つずつ穴をほっていった。

そうしたら、七日したら渾沌は死んでしまった。

 
『湯川秀樹著作集 六 読書と思索』(P.24)

 

 

 

そして、このように続きます。



最近になってこの寓話を前よりも一層面白く思う

ようになった。儵も忽も素粒子みたいなものだと

考えてみる。

それらが、それぞれ勝手に走っているのでは何事

もおこらないが、南と北からやってきて、渾沌の

領土で一緒になった。素粒子の衝突がおこった。


こう考えると、一種の二元論になってくるが、

そうすると渾沌というのは素粒子を受け入れる

時間・空間のようなものといえる。

こういう解釈もできそうである。


『湯川秀樹著作集 六 読書と思索』(P.25)

 



 

 

 

 

 

想像と妄想はちがいます。



“親切”と“おせっかい”は紙一重。

 


 

生半可な知恵や主観の善意によって、

知らぬうちに相手の心を傷つけていたり、

自然(ありのままの状態)を破壊していたり、

 

“中途半端はもっとも恐ろしく、

                                   もっともややこしい”

 

 

 

 

目まぐるしい進歩を遂げている科学技術。

歯止めなき情報の錯綜。

 

便利は不便の始まり。


より便利に、より豊かになっているという

大きな錯覚。


 

 

はたして

人類は進歩していると言えるのでしょうか。

 

 

目に見えるもの、目に見えないもの、

どれだけ破壊すれば気がすむのでしょうか。

 

 

 


とにかく、

 

 

“要らんことするな”

 

 

 

 

これがいちばん難しいことなのかもしれません。

 

 

 

 

甲辰雨水後二日

KANAME

 

 

参考・一部引用文献
・『荘子』第一冊 内篇 金谷治 訳註 1971年 岩波書店
・『荘子』第二冊 外篇 金谷治 訳註 1975年 岩波書店
・『荘子』第三冊 外篇・雑篇 金谷治 訳註 1982年 岩波書店
・『荘子』第四冊 雑篇 金谷治 訳註 1983年 岩波書店
・『老子 荘子』上 新釈漢文大系 阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫 著 1966年 明治書院
・『荘子』下 新釈漢文大系 市川安司・遠藤哲夫 著 1967年 明治書院

・『湯川秀樹著作集 』全十冊 1989年 岩波書店
・『詩と科学』湯川秀樹 著 2017年 平凡社 
・『荘子の人間学』守屋洋 著 1996年 プレジデント社

・『荘子の二十四の寓話』 北尾克三郎 訳注 2008年 プロスパー企画

・『荘子 俗中に俗を超える』 中嶋隆蔵 著 1984年 集英社

 

 

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