今から6年前の2015年4月22日

ホテルニューオータニの会場にて
「国際リニアコライダー(ILC) 東京イベント」
が開催されました



“リニアコライダー”とは?


(以下引用)

国際リニアコライダー
(International Linear Collider:ILC)は、
国際協力によって設計開発が推進されている
次世代の直線型衝突加速器です。
電子とその反粒子である陽電子の素粒子を、
電気や磁気の力で光速近くまで加速して
超高エネルギーで正面衝突させる実験を行います。
ILCによって、
宇宙の始まりである「ビッグバン」から
1兆分の1秒後の状態を、人為的に再現することで、
未知なる素粒子を探索し宇宙誕生の謎を探求します。


【ILC PROJECT】のサイトより引用


…で

その会場内にいた私


というのも

文化・芸術活動の関係で
海外の方に日本文化感じていただくため
師匠のお手伝いを…

を生けたり
特設した組立式の茶室でをお淹れしたり
師匠が即興で水墨画を画いたり 

イベントの演出に少しだけ携わっていて


国内外から数百名の研究者の方々が集まり
華やかな雰囲気でした
(貴重なお話を伺うことができたりと…
懐かしいです)




“素粒子”の世界と“文化・芸術”の世界…

まったく関係のない世界


とも言い切れなくて・・・




今でこそ最小の粒の大きさ
つまり物質の最小構成単位までわかる時代

原子核の中にある陽子中性子
“クォーク(quark)と名付けられた小さな粒子
素粒子(のグループの一つ)として
認識されています

すごい時代ですね



素粒子研究と言えば

1949年に日本人として初めて
ノーベル物理学賞を単独受賞された
湯川秀樹(1907-1981)氏が羽化登仙されて
今年で40年になります




私は物理はそこまで詳しくありませんが
博士の功績を
ざっくり説明させていただくと…



世界で「素粒子物理学」という分野が登場し
原子核の構造がわかり始めてまだまもない頃

原子核(原子の10万分の1程の大きさ)の中には
いくつかの陽子(プラスの電気を持つ粒子)
中性子(電気を持たない粒子)があることだけ
知られて(把握されて)いました


しかしながら

原子核という極小の空間の中で
プラスの陽子同士が結び付き合うのは何故か
研究者たちの間でずっと“謎”でした

普通なら
「+」と「+」は弾き合う(飛散する)からです



そこで博士は

陽子と陽子の間には
強力な力=“核力を持った何か”が存在する
想像・予測

その“何か”
新たな粒子“中間子”と名付け

さらに
“中間子”中性子の中に存在していて
マイナスの電気を持つ粒子だとする
「仮説」をたてました


そしてその仮説を「中間子論」として
国内で論文を発表

海外誌にも掲載されました

…が
当初は見向きもされず



数年後

論文は徐々に海外から注目されはじめ
博士はヨーロッパに渡ります

すると今度は
第二次世界大戦が勃発


その後アメリカに渡った博士は
アインシュタインをはじめ多くの物理学者と
交流をもち議論を交わし合います

…が
中間子論が国際的に評価されることはなく

そこから何年も
苦闘の日々を送ることに…




そんなある時

“中間子なる粒子”を海外の学者が発見


状況は一変します


「中間子論」を発表してから14年
ついに
中間子の存在が確認されたのです


それが引き金となり
紆余曲折の末ようやく博士の論説が認められ

ノーベル物理学賞授与へと・・・




組織しがらみ常識に縛られず

探究心好奇心
自由な発想のもと
独学で研究をされた博士は

この社会そして私たちに対して
多くの“メッセージ”を残されています



さて

博士が『荘子』を愛読されていたことは
有名な話

とくに
博士による「知魚楽」(『荘子』外篇秋水第十七)
の解釈や見解
またそれに続く逸話は
とても人間じみていて面白いものです



自然と対峙する(自分と自然を区別する)見方
つまり
実証できないことは認めない姿勢

一方で

自然と同化する(数値化できない感覚や)心地
つまり
自分と自然が一体化している状態


その両方を持ち併せている科学者の
“正直な心”


科学者としてどちらがどうということでなく

ひとりの人間として・・・



それこそ

“どちらでもありどちらでもない状態”

でしょうか






いよいよ

量子テクノロジーが解放され始めました


それは
ある見方をすれば

古代からある思想・哲学
最先端の科学=“理屈という名の衣”を着せた
…とも言えますね


それが“脅威”となるか
“真の自由への大きな一歩”となるか

それは
“扱い方”“見方”次第


良いも悪いもあるがゆえに

良いも悪いもない



この世に“言い切れること”などない






季節がめぐるように


極まればに転じる

極まればに転じる


の中にはがあり

の中にはがある



太極図☯️で表されるように

同時に存在する陰の気陽の気


ひとつの中に存在する2つの気は
けっして分離させられるものではなく

また静止しているわけでもありません


太極図

2つの気が互いを補い合い
重なり合い
混じり合い
溶け込み合い
時に対立し合いながら

光速で回転している状態を表しています


状態が光速で回転しているとも言えます



“状態”は常に変化し続けている


生成消滅を繰り返している



それが太極


それが調和






光も影もない世界

絶対無



混沌とした状態から“太極”が生まれた

そして

太極から“陰陽”が生まれた



つまり

が生まれ…


“有る”・“無し”が生まれ…


“良い”“悪い”が生まれ…


・・・・・・・・・・・・ 


・・・・・・・・・・・・



“無事でよかった” 

“無事に終わりますように”


私たちが日常で何気なく使用する
“無事”という言葉


“無事”(ぶじ/むじ)とは読んで字の如く
“事無し”の意

良いも悪いも無い状態のことをいいます



多かれ少なかれ

私たちは知らないうち(無意識)に
“良いこと”を願うもの




“悪いこと”が起きて初めて

“良いこと”を願っていたことに気付かされる


逆に言えば


“悪いこと”が起こるまで

“良いこと”を願っていたことに気が付かない



では

“無事を願う”とはどういうことなのでしょう



それは

“何事もない状態”

“平穏無事”を願うということになります


よって

“良いこと”を願うなら

それは“無事”ではなく“有事”となります




何かを求めた瞬間

それとは反対のものが生まれる


幸せだと感じられるのは

そうでないときを知っているから


自由を求めるのは

何かに拘束されているから




“何事も無い状態”  “無事”


何事も無いなんて
面白くはないかも知れませんが

それを意識的に理解し


その中(何でもない日常の中)から
“楽しみ”を見つけ出せるように

振舞いたいものです・・・




“知識”とは何か

私たちが普段“目にしているもの”は何か


言うなら
どれだけ形の整った物体でも
それを拡大して(原子レベルで見て)いくと

それは
単なる粒子の集合体に過ぎないということ



プラトンは
そこに存在する物体を構成しているものは
“粒子”であるとし

すべての粒子はムダのない美しい形状
正多面体(後に“プラトンの立体”と呼ばれる)
をしていると考えました



結果的に
粒子の形は正多面体ではなかったですが

そもそも電子顕微鏡もない時代に
粒子の存在を語っていたことは面白い





目に見える世界目に見えない世界


目に見えているそれを構成しているものは

目に見えない“最小の粒”であり

形をとどめない“波”であり


形であり形でないもの

“ミクロの世界”


その境目は有るのやら無いのやら…




マクロの世界を創出しているのは

ミクロの世界


「ミクロ=マクロ」



“目に見えないもの”

“目に見えるもの”を形づくっている






物理
物理(人が生み出した物理の概念)を超える


我々人類の頭脳だけでは今日の科学技術は
とても成し得ません…

そこは素直に
“いただいた”と言うべきでしょう



ソクラテスが無知の知(不知の知)を
自覚していたように

人間の常識だけでみてはいけない



“わからない”“答え”であり

“結論”であり


この世には
“わからないもの”が存在していて…

“形を持たないもの”が存在していて…


私たちは謙虚に
その事実を受け入れなければならない





わかった(と思った)瞬間

わからなくなって・・・



わかっている人ほど

“わからない”と答えるし


知っている人ほど

“知らない”と答えるように




“汝自身を知れ”の言葉に従い

“自分”を知ろうと苦悶するも


“自分”を知れば知るほど

ますますわからなくなっていく


“それそのもの”を言葉で説明するほど

“それそのもの”から遠退いていくように



本質は言葉では語れない



“自分”を語れば語るほど

ますます“自分”から離れていくのだから






紀元前に生きた伝説上の人物
老子はこう仰っています(『老子道徳経』より)



大成若缺

本当に完全なものは
何かが欠けているようにみえる



大盈若沖

本当に満ちているものは空っぽにみえる



大直若詘

本当に真っ直ぐなものは曲がってみえる



大巧若拙

本当に巧妙なものは稚拙にみえる



大辯若訥

本当に雄弁なものは口下手にみえる



(第四十五章の一部を抜粋)



… … … と



紀元前の言葉ですよ


短い言葉でありながら

一見すると難解なようで
けっして難解ではなく

難解ではないようで
やはり難解で・・・



老子に関する書籍は数多くありますが
講談社より出版されている
『老子』無知無欲のすすめ(1988) 金谷治著
私のオススメの書籍です





最後になりますが

量子力学はとっても奥の深い世界です



“常識”は塗り替えられていくもの



これから

封印されてきた“宇宙テクノロジー”
次々に公開されていくことでしょう



そして

今はまだ証明されなくても

物理次元とは別に
第六感や第七感といった

“心で感じる世界”があるのは確かなこと


私はそれを大事にしたい



たとえ科学的に証明できなくても

私はそうありたい



むしろ
科学のほうが遅れているのかもしれない…





目に見える世界目に見えない世界



ハァ・・・・・・


この世は
なんとも不思議で なんとも面白い。。。


これに尽きますね(^∧^)




ここまでお読みいただき
ありがとうございました!



2021.0(3_3)0
KANAME