昔から多くの画や詩に取りあげられてきた
ふたりの詩僧、
 
寒山(かんざん)拾得(じっとく)
 
 
 
超俗的かつ風狂な人物(風狂子)として、
 
ひとつの“理想像”として、
 
また
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢菩薩(ふげんぼさつ)
の化身として伝えられています。



寒山は国清寺付近の岩山の洞窟に棲んでいたため
こう呼ばれ、
拾得は天台山国清寺の高僧である豊干(ぶかん)
拾われたことからこの名があるそうです。

寒山は国清寺にやって来ては厨房でかまどの番を
していた拾得から残飯をもらい、
ふたり仲良く向かい合って話をしていましたが、
その話をきいても、何を話しているのか誰にも
わからなかった…

 
彼らには諸説あり、あくまでも伝説上の存在
実在したかどうかもわかりません。
 
もはや実在したかどうかなんて、
たいしたことではないのでしょうが・・・
 
 
 
画で描かれるときは、
寒山には巻物(巻子)を、拾得にはを持たせる
のが決まり事になっています。“暗示”として。
 
西洋美術で言うところの、
“アトリビュート”(持物=人物を特定する持ち物)
になるでしょうか。
 
 
このことから、
簡略化させて巻物と箒を描くだけでも、
彼らふたりを表すことができますよ。
 
画題はもちろん「寒山拾得(図)」
他に、
「和合二仙」「和合二聖」とも。


そこに、
彼らのことをよく理解していた豊干禅師を加えて
「三聖」や「三隠」とも呼ばれます。

また豊干が傍らに虎をつれていたことから、
虎も加えて「四睡図」とされることもあります。



ふたりが持っている巻物と箒ですが、

巻物は、「文字・思想・知恵」を表し、
箒は、「実践・行動」を表します。
 
 
寒山拾得にまつわる話には、
 
森鴎外の短編小説『寒山拾得』、
芥川龍之介の短編作品『寒山拾得』、
坪内逍遥の舞踊作品『寒山拾得』、
あとは、良寛の詩『寒山拾得に題する賛』などを
参考にしてみてください。

 




さて寒山について…
 

寒山は
“寒山”と呼ばれていた山に棲む隠者とされ、
けっして禅僧だったとは言えませんが、
その詩風は禅の境地をあらわすものと解釈されて
います。
 
その寒山のものとされる三百余首の詩を集めた
『寒山詩』(正式には『寒山子詩集』)と呼ばれる
ものの中から一節を。
(寒山の詩はみな題名がありません)
 
 
 
欲得安身處  安身(あんじん)の処を得んと欲せば
 
寒山可長保  寒山長(とこなしえ)に保つべし
 
微風吹幽松  微風幽松(ゆうしょう)を吹く
 
近聴聲愈好  近く聴けば 声愈(いよ)いよ好し
 
下有斑白人  下に班白の人有り
 
喃喃読黄老  喃喃(なんなん)として黄老を読む
 
十年歸不得  十年帰るを得ず
 
忘却來時道  来時(らいじ)の道を忘却す
 
 
 
心やすらかな場所を求めようとするならば、
寒山に長くいればよい。
 
そこには、
霞に姿を隠す松に微風が吹いていて、
その音は近づいて聴くほど心地が好い。
 
妙音を伝える松の木陰には
白髪交じりの老人が坐り、ぶつぶつと
「黄帝(の名を冠した書物)」や『老子』を
読んでいる。
 
(彼のように)帰ろうともせず、
十年もここに隠棲していると、
ここにやって来たときの道さえも
忘れ去ってしまうのだ。
 
 
(意訳はご参考までに)
 
 
 
 
“その詩には、
心の安らぎと自由の境地を求めた真摯な姿と
悠々自適の境界をみることができる”
                                       久須本文雄『寒山拾得』序言より
 
 

 
“来た”とか、“帰る”とか、
そういった相対観は消え去り、

(世俗から)“離れている”
といった感覚もなくなり、 

ただ
赴くままに心中を駆けめぐる・・・
 
 
 
 
社会にどっぷり浸かって生きていると、
気付けば、
本質を聞き分けられなくなっていて…
 
そんなときは寒山へ。
 
 
耳を澄ませば、“微風吹幽松”の声が聴こえてくる
かもしれませんよ。
 
 

 


 
 ・    ・   ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・   ・  ・ ・・・・
 
 
 
 
 
辛丑小雪後四日
KANAME
 
参考文献
・『解詳 三隠詩集』 野畑一男 著  興文社   1940年
『寒山拾得』 久須本文雄 著   講談社   1995年
 
 
 
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