言葉や文字で表せるものは

“こたえ”ではない


それは“こたえへの導き”




自分の外に“こたえ”はない


“こたえ”は自分の中に






“古くただしいものは常にあたらしい”



社会の中にいるときに

老荘や禅は不要かもしれない


けれど

社会に出て理不尽というものを知り

多くの疑問を抱き


社会から自然と距離を置き

時には社会からつき離され

時には自らすすんで逃げたとき


はじめて必要になってくる

ひとつの“拠り所”




老荘の思想に

仏教という名の衣を着せたのが禅

だとするなら


“その教え”

私のこころの内でずっと生きつづけるだろう



日々

自分の中で“こたえ”を更新させながら




2021.10.18
KANAME



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