“右向け右”と号令すれば

 

皆が一斉に右を向く

 

 

“マスク”を着けるよう促せば

 

皆が一斉に“マスク”を着ける

 

 

 

“支配する側”にとっては

 

たまらなく心地好い光景だろう

 

 

 

 

 

“支配する側”支配しやすいように

 

自分たちのためにつくった


この“ピラミッド社会”

 



どの時代も

 

素直に言うことをきく者は

 

いつでも“お利口さん”として評価され

 

 

そこに疑問を持ち意見する者は

 

“変わり者”として稀有な目でみられる




“真実”を解こうとする者は


時に迫害され…


時に抹殺され…



中世の画家は命がけで


画の中に“真実”を隠した



いつか読み解いてくれる人に向けた


渾身の“メッセージ”として






常に抑圧される“少数意見”


沈黙によって専制に加担する“大多数”



操られた“自覚なき多数派”


無意識に“真実”を曇らせる




“支配する側”にとっては


なんとも好都合な仕組みだ



 




この社会


“何かおかしい”と勘づきながらも

 


保身のために“ふつう”を装い

 

何食わぬ顔で“常識人を演じる大多数”


 


己の地位や名誉のため

 

“ふつう”のことしか言わない(言えない)

 

テレビ御抱えの評論家やジャーナリスト


 

 

彼ら


“ふつうを装う人”が製造した“空気”

 

社会全体の“空気”となって

 

隅々にまで蔓延し…

 

 

 

息苦しくてたまらない

 

 





 

“常識人を演じる大多数”


“同じでいること”に安心感を抱き



“自分の頭で思考する”ことを忘れ


とにかく集団で群れたがる




“儀式”“しきたり”にとらわれ


阿保臭い“カタチだけのマナー”を覚え


仏を作るも魂は入れず




刷り込まれた“ふつう”の思考が


“道徳”を履き違えさせ

 

オリジナルの“個性”を抑制し


 

“人によく見られたい”という理由から

 

“社会の多数派”に自ら仲間入り





“不自由の中の自由”にすっかり慣れ


事の“表面”だけを見ては一喜一憂し


“不安”“恐怖”に煽られっぱなしで




“不自由の中の(目先の)自由”のため


自発的に“指示に従う”ことを選択し


“見せかけの自由”を手に入れご満悦

 



“生半可な者”ほどすぐに広めたがり


“思慮浅い者”ほどすぐに騒ぎ立てて



“支配する側”の思惑通りに行進する






そもそも


“リーダー”なんて要らないのに…


 

“救世主(ヒーロー)の登場を


“信じて待ち望む思考”仕立てられ



“祈るばかり”で何もしない



 

そんな


“人任せの思考”を増幅させては

 

“自分の可能性”に蓋をして

 



“自分の思考”を変えようとはせず


ただ愚痴を並べて今日をやり過ごし


 

挙げ句

 

“矛盾だらけの社会”との摩擦に

 

日々“ストレス”を募らせてゆく始末

 




その摩擦を“原動力”に変えて


何か“行動”に移すこともなく・・・



その“発想”すら持っていない・・

 




 

 

“平穏無事でいられること”

 

“ふつうを装うこと”はまったくちがう

 

 

 

でも

 

もう“そんな社会”ではなくなってきた




“空気”が大きく入れ換わり始めた今



“常識”とされるものが大逆転する今





“常識人を演じる大多数”の人たち



いつまで


“ふつう”を装っているのですか?







人の数だけ“個性”がある


“おなじ色”は一つもない




“皆ちがう”ということが


“皆おなじ”だということ





これまで


生きづらいと感じてきた人が

 

 

生きやすくなる社会へ・・・

 

 

 

 

 

2021.06.09 黄昏

KANAME




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