『売茶翁偈語 訳注』大槻幹郎著(P.176参照)
 

 



70歳の時に名を「高遊外」と改め、

晩年には自らを“貧士”と称した江戸時代中期の

黄檗宗の僧、売茶翁(1675-1763)

 
「自警偈(じけいげ)と題された
85歳の翁が自らの心境を詠じた七言詩です。
 
 
寺で静かに禅の修行をしたかったのだけれど、
俗塵にまみれ空気を揺らす者が多くなり
それができなくなっていった末に、
 
“自分が目指すところではない”
僧(の世界)に見切りをつけ、
 
57歳で還俗し乞食をしながら
京都のまちで茶を淹れて売っていた翁。
 
 
なぜ茶を売っていたのか…
 
もちろん
茶を淹れていい暮らしをしようなんて思っても
いないでしょう。
それなら寺にいたほうがよほど潤います。
 
 
 
その背景には
哲学・思想的なものが深く備わっていて、
翁はそれを行動に移した人です。
 
時に
“煎茶道の祖”と称されることもありますが、
けっしてそんなことはありません…
 
 
確かに、急須で茶を淹れて喫するという日本の
煎茶文化の始まりにいたそのひとりではあるかも
しれませんが、
 
“茶道”とは真逆の茶を楽しんだ 
“翁の生き方そのもの”にあるのです。
 

 
翁の“志”は、
“茶にあらずして茶を名とす”
 
つまり翁は、“茶をしている”わけではなく、
“茶を使っていた”、
“茶を借りた”  …だけ。
 
 
一部だけを見て全体(本質)を見ない。
 
ただただ“茶”だけに人は注目し
そこをとやかく言いますが、
 
翁は“そこじゃない”のです。
 
 
 
 
 
今晩は。
 
このコロナ禍に対してもそうですが、
一人ひとりでその“感じ方”は異なります。
 
私は…
 
生活は少々“不便”にはなりましたが、
同時に
“便利”も知りました。
 
暮らしはとても潤ってはいませんが、
干からびてもいません。
 
 
物理的には
制限が多く窮屈でややこしい世の中ですが、
それは“単なる事実”に過ぎず・・・
 
 
 
時代がどうであれ
 
社会がどうであれ
 
場所が何処であれ
 
 
私にとっては、
これほど“内”を旅できる機はありませんし、
 
仕事も減り生活は厳しくなりましたが、
以前にも増して
 
“閑適”に過ごせています。
 
 
それに、
 
心遠地自偏(心遠ければ地自ずから偏なり)
 
 
 
 
 
 
 
身に起こる出来事それ自体に
 
“良い”“悪い”もない。

 
 
悲しんだり…
 
喜んだり…
 
怒ったり…
 
笑ったり…
 
… … … … … 
 
… … … … … 
 
 
様々な感情が起こる理由発端は、 

自分の“外”にあるのかもしれませんが、
 
 
その感情を最終的に選んでいるのは、
 
やはり“自分”なのです。
 
 
 
 
 
たとえば

この記事は、
私が“皆さん”(不特定多数の方々)に向けて
一方通行ではありますが、発信しています・・・
 
とはいえ…それを、
1対 不特定多数としてとらえるのか、
1対1が何組としてとらえるのか、
 
つまり
“私”“皆さん”としてとらえるのか、
“私”“あなた”としてとらえるのか、
 
 
“あなた”の受けとめ方によって
意思疎通の奥行きは全く変わってきます。
 
 
 
 
発信する側としての私の心情は、
 
“皆おなじ”ということでもなく、
 
だからといって
“私 対 一人ひとり”ということでもなく。
 
 
むしろ
そうした概念を取り払った先にあり・・・
 
 
 
一人ひとりの区別をなくし、 
すべての人に向けて発することが、結果として、
一人ひとりの区別になる・・・と。
(一人ひとり受けとめ方や理解が異なる)
 
 
 
 
 
“区別する”からといって
 
“一人ひとりちがう”ということではなく、
 
 
“区別しない”からといって
 
“皆おなじ”ということではなく、
 
 
 
区別する 区別しない
 
そのどちらもない状態。
 
 
 
真のポジティブは
究極のネガティブであるように、
 
片方だけでは存在し得ぬものを
わざわざ分離させ、区別するから、
ややこしくなるわけで。
 

どちらもあるがゆえにどちらもない
 
そういう状態。
 
 
何事も無い状態─「無事(むじ)事無し
 
 

 
翁は『自警偈』の五句目で、
「無事心頭情事寂」

“心に何事もなければ
感情は自ずからひっそりと静まり”
 
…と仰っています。
 

 
“何もない”からこそ…そこには、
 
一人ひとり
“探しているもの”がある・・・
 
 
無一物だからこそ・・・
 
 
 
 
 
“この記事そのもの()”に
 
“何も無い”のです。
 
 
 
“答え”をどれだけ探しても、
 
“外”にはありません。
 
 
“答え”は自分の中に。

 

“自分”でつかむしかない。
 
 
 
 
 
 
 
 
大槻幹郎先生を偲んで
 
直接ご教示いただくことは
ついに叶いませんでしたが、
私の中ではとてもとても近い存在でした。
ご冥福をお祈りいたします。
 
2021.01.24
KANAME


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