『名数画譜(めいすうがふ)全四冊(天/地/人/附録)
大原東野 文化七年(1810年)序刊の後刷  木版画



『名数画譜』は、

たとえば
聖」、「竹林賢」、「天保如」など、
画題に数字が含まれたもの = 名数画題を集めた
江戸時代後期に出版された書物です。

以前の記事で取りあげた
蘇東坡の「賞心十六事」も登場しますよ。







和本に多くみられるのですが、
頁の上部(天)の部分の余白が広いのは、
書き込むためです。(広いほどいい)


これら中国や日本に伝わる豊富な画題の数々は
吉祥を意味したものだったり、

よい寓意や、よい暗示を表したものだったり。


絵画として、また字体や符号として図案化され
たり、装飾芸術として器物などにも多く描かれ
たりしています。



画で表すことで自然と日常に溶け込み、
(文字が読めなくても)だれでも親しみやすく、

また、
その奥にある本質に迫ることができ、
そこから自由に想像してゆくことができる

ゆえに文化として今日まで残ってきたのだと
思います。


画に込められた先人たちの想い。詩情。




「名数画題」にかぎらず、

日本でいうところの「鯉(こい)」と「恋(こい)」、
「松鶴(しょうかく)」と「昇格(しょうかく)」、
「六瓢(むびょう)」と「無病(むびょう)」のように、

「迷語(めいご)画題」と呼ばれる、発音による
“語呂合わせ”など、
(※日本語と中国語では迷語は異なります)


時として
私たちは“イメージ”によって気持ちを表すこと
を好みます。


壁にそっと六個の瓢を掛けておけば、それは、
「無病息災」を願う暗示に。
(私は神棚の横に“六瓢”を掛けていますよ)


このように

あえて言葉にしない(直接的すぎないこと)で、
“メッセージ”“願い”として、いつでも、

そっとそこに・・・




同じくこの『名数画譜』においても、

その“意味”がわからなければ、
全然気にもならないような画が並びます。


でも、意味がわかると、
画の奥に込められた先人たちの想いがわかる。

奥行きがさらに深まる。



それを面倒だと捉えるか、深いと捉えるか。
それは人それぞれですが。

しかしながら、

知ってからふれることで、なお面白く、
どこまでも想像を膨らませていく楽しみを
その画から味わうことができるのです。


同じ画を見ているはずなのに、
最初の印象とはまるでちがって見える…
といった具合に・・・



余談ですが、

「吉祥(きっしょう)」は、単に“欲”というよりも、
“人の純粋な願い”から生まれたものであり、

また「吉祥」という言葉自体は、
おそらく日本人がつくったものと思われます。


よく知られる吉祥と言えば、
「三」が含まれる名数画題のひとつに
「歳寒(さいかんさんゆう)」が挙げられます。

もちろん『名数画譜』にも載っていて… ↓




松と竹と梅が描かれていますね。

ご存知の通り
これは日本では「松竹梅」として知られている
画題です。


瞬時に“おめでたい”イメージが浮かびますね。

しかし本来は、
“立派な君子(友)が集う”という意。

(松竹梅それぞれの説明については、
ここでは割愛させていただきますね)


日本にやってきた「歳寒友」は、
いつしか
“めでたい”という意になっていきました。

確かに、三人の君子が集うことは稀であり、
ある意味では“めでたい”と言えますが。


いずれも
源流を辿る(出典を知る)ことはとても大切です。




話を戻しましょう。


『名数画譜』には、一から萬(万)までの、
数に纏わる様々な画題と画が掲載されています。

品当朝」から始まり「寳仰成」まで…




そこには
先人たちの種々様々の“想い”が込められている。


ちなみに「百」や「千」や「万」という数は、
実数ではなくあくまでも
“たくさん”、“いっぱい”、“これ以上ない”
という意味です。

他にも、「九(きゅう)」は、
永久や悠久の「久(きゅう)」と同音になるため、
“いつまでも”、“永遠に”、“最大”という意味を
持ちます。

日本で用いられる
“幾久しく(いひさし)”という言葉の中にも、
「九()」が二つありますね。
“いついつまでも”という意味になります。


また附録には
「天・地・人」(三冊)で紹介された名数画題の
出典や簡単な説明文が記載されています。



そして・・・

「一」を含む画題のひとつに出てくるのが、
今日の記事のタイトル

「一月三舟」
(いちげつさんしゅう/ひとつきさんしゅう)






「一月三舟」という題から、
これは夜だということがわかります。
水辺に生えているのは柳でしょうか。

遠くの空には山上に浮かぶ明月の姿が、
そして湖畔の手前には二艘の舟が、
奥には一艘の舟がみえますね。

ひとつの月と三艘の舟。


以上。



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



失礼。(笑)

さすがにこのままでは終われませんね。



一見すると“なんでもないただの画”

なのですが、、、


そこに込められたもの・・・



(きっと)

おなじ湖上にいても、
近い遠い、前後ろ、動いている停まっている、
ひとりでいる、だれかといる  …等々、

三人とも今いる場所(位置)や状態はちがいます。

だけど、
湖面一帯、そして三人を照らすのは、
たったひとつの、おなじ月。



今の環境、今の状況、今の心境は、
人それぞれ。

だけど、
そこにある月は、おなじ月。



私にはこう見える、
僕にはこう見える、
俺にはこう見える、

おなじ月でも見え方は、人それぞれ。

だけど、
見ている月は、おなじ月。




いつの時代も、

人は同じようなことで悩み、苦しみ、迷い、
笑い合い、喜び合い、共感し合い、

既にある言葉を掘り起こし拝借しては、
またそれを繰り返し言い続け…


思うとおりにいかない人生を
思うとおりに解釈して、

混迷の世に憂いては、
偽りなき自然にひとつの“真実”を見いだして…


平穏無事でいられることを永遠に祈る・・・



人の本質的な部分は何一つ変わらず。

人の心に
古いも新しいもない。





皆一人ひとり想い心情はちがいます。

人の数だけ人生がある


だけど、
夜空に浮かぶ月は、おなじ月。


月は月・・・




たとえ
同じ空間にいても、同じものを目にしても、
同じ話を耳にしても、

同じひとつの記事をみつけても、



感じかたは、人それぞれ。




辛丑 処暑 後一日
KANAME



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