日々の暮らしのなかで


度々目の前にやってくる“山”





少し角度を変えて見てみると、その峰々は、


長く続いているものだったり、


そこだけが突っ立ったものだったり、



なだらかなものだったり、


険しいものだったり…






なぜ“わからない”かというと、




“山の中にいるから”





“そこに迷いこんでいるから”





ずっと“同じ場所”で、


“同じ方向”からしか見ていないから。




だから



いつまで経っても


“実体”がわからない。






一面だけを見て、勝手に思い込み、


慌てふためいては右往左往して、



そうやって


どんどん迷いこんでいく・・・






“近づくほど見えない”




“中にいると見えない”






悩んだり、迷ったり、


自分はこれからどうしていったらいいのか

わからなくなった時こそ、




“そこ”から少し距離を置いて見る・・・






見る角度を変えてみる・・・






時には、


霧に包まれ(氾濫する情報に惑わされ)



目の前にある“大きな山”

(すぐそこにある“兆し”“気配”に)



気付かないことも。





また時には、



一陣の風が吹くことで霧が晴れ、



突然、目の前に“山”が現れることも



あるかもしれない・・・





物事を一面だけで見るのではなく、


多方面で見る。




それは


“選択肢”としていくつかの見方を持つ

ということではなく、



“真実そのもの”が、


色々な角度から見ないと、見えてこない

ということ。





“真実”は人の数だけあって… 、



自分にとっての“真実”


“真面目(しんめんもく)



ただ知ればいいだけ、なのに・・・





一方向からにとらわれている自分


いて・・・




なかなか知ることができない。





“真面目”“本来の姿”は、



“自分という存在”も含めて、



わかっているようで、わかっていない。





“迷い”がなぜ起こるか…




それは


“そこに迷いこんでいるから”




“山の中にいるから”







一度そこから離れてみては





2021.07.29 昼前

KANAME