パレルモ大聖堂でアノ人に会う!【シチリア・パレルモ旅行③】 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

大本命パレルモ大聖堂 Cattedrale di Palermoにやってきました。

 

そう、ここには、我らがフェデリーコ2世のお墓があります❗️

 

 

 

ここ、パレルモ最大のアラブ・ノルマン建築と言われていますが、

 

改装・増築がくり返され、12世紀の建立時の面影はあまり残ってないようです。

 

外壁にのこる幾何学模様の装飾には、ほのかに東方世界の香りを感じますけどね。

 

 

 

大聖堂が建てられる前、ここには東ゴートの大聖堂や、モスクが建っていたらしく、

 

ファサード下の柱の一つには、今でもモスク時代に彫られたクルアーンの章句が残っていましたポーン

教会の入り口にですよッ💦

 

 

 

 

さて、フェデリーコ2世の墓所はじめ、大聖堂の色々な所に入れる有料チケットを買ったので、

屋根にも登れます❗️ 

 

 

 

うろこのような屋根を持った、メルヘンチックな小ドームの横を歩き、

 

 

 

例の東方風な壁の模様も、間近から見れるし、

 

黒い石を象嵌してるっぽい

 

 

屋根の細い通路を歩くのは、ちょっとスリルがあって楽しい。

 

海の方まで見通せて、港にはまだ私たちが降りたクルーズ船🛳が停まっていました。

 

 

地下墓地や、博物館、隣の司教館も見学してから、

 

やっと、神聖ローマ皇帝フェデリーコ2世の棺の場所に。逢いたかったよ‼️

 

喜ぶオット

 

 

フェデリーコ2世が、今の時代の我々から見てもすごいのは、

 

何回もの十字軍が暴力によって達成できなかった聖地エルサレムの返還

 

一切の軍事力を使わず、一滴の血も流さずに、

ムスリム側と親交を深めることによって達成したこと、ですね。

 

 

 

フェデリーコ2世は、即位からずっと教皇から十字軍を率いるようにせっつかれるのですが、

 

気乗りせず、あれやこれや言い訳をして先延ばしした結果、破門十字架に。

 

でも気にも留めず、

 

エルサレムを支配するアイユーブ朝のスルタン、アル=カーミル👳‍♂️と、科学技術や自作の詩の交換をアラビア語でやりとりすメル友💌になったり、

 

アル・カーミルが送ってきた使者を気に入って、一緒にチェスしたり騎士に叙任🗡したりと、親交を深めていきます。

 

フェデリーコ2世とチェスをしながら交渉する、アイユーブ側の使者ファラーディーン

 

 

その結果、どー考えてもアル=カーミル👳‍♂️に得は無いのに、エルサレムを返還してもらっちゃうんです。

 

ムスリムにとっての聖地、神殿の丘👈を含む一部の地域を、ムスリムの管理する「イスラーム地区」と認める条件のもと。

 

神殿丘、岩のドームにて。以下エルサレムの写真は23年に旅行した際👈のものです。

 

 

いや、こんな感動的なお話ないと思いません?

 

十字軍を率いるべき神聖ローマ帝国皇帝十字架と、アラブ世界のトップであったスルタン🕌が、

 

対話による友好によって、両者にとっても譲れないはずの聖地を平和的にシェアできたなんて。

ムスリムにとってエルサレムがなぜ聖地かはこの記事👈で書きました。

 

ヨーロッパ人が描いた絵なので、「街の鍵をよこせぃ」ってなフェデリーコに、

嫌々握手しているアル=カーミルって雰囲気ですが、史実では双方納得していたし、対面もしていない。

 

 

そんな、フェデリーコ2世の棺、調査のため2度開けられているのですが、

 

彼が死装束として纏っているローブの袖口には、アラビア語で

 

友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よと刺繍されている事が明らかになっています。

 

 

 

一般的には、このアラビア語の文言、「生涯の友だったアル=カーミル👳‍♂️に向けた言葉」って解釈されているんですけど……。

 

んん?うーんって思いません?

 

死装束ですよ? あの世へ着ていく、今生で最後に着る服に、ですよ?

 

リアルでは一度も会ってないメル友への言葉を残します?あなたなら。

 

 

 

そうじゃなくて、YOU……、実は隠れムスリムなんじゃないの?おいでニヤニヤ

友人や恋人への言葉に見せかけて、実は神や預言者に向けている……というスタイルは中東文学の王道ですしな。

 

 

彼の「ムスリムなんじゃないか疑惑」を深めるエピソードは、枚挙にいとまが無くてですね……

 

・「入浴は悪」とされていた時代に、彼の城には浴室が完備。←イスラームでは清潔は信仰の半分

 

・彼の宴では、アラブの舞姫が登場、賓客には中東的な絹織物が手渡されてた ←アラビストやんw

 

・領内でムスリムの反乱が起きた際、罰せずに自治区を与え、信仰の自由を認めた。しかも軍での就職まで斡旋 ←自治区ではモスクが林立

 

・エルサレムへ「第6次十字軍」というテイで向かう際、このムスリム兵を多く従えていた。

 ムスリムもいる=ムスリムの敵軍ではない、仲間であるとしたかったのか

 

・エルサレムに到達したら、通常クリスチャンは感動で泣くのに、彼は淡々としていた。

 ←ムスリム側に「この人、信心ないのかね?」との記録あり。

 

エルサレムでクリスチャンにとって聖地の中心、聖墳墓教会👈

 

 

・なのに、神殿の丘の視察で、モスクの中に入ったら ←✝️王として極めて異例 感嘆する。

 

・そのモスクの鳥よけの網を見て、「鳥は入れないのに豚(=✝️)は入ってもいいんだ?」とかブラックジョークをブッ放す  ←ムスリム側、目が点。

 

神殿の丘、岩のドームの中

 

 

・彼がエルサレム滞在中、☪️側が配慮して町中のアザーン🕌を中止してたら、「アザーンはどうして流れてない?」なんて聞くので、すぐに元通りに。

 

 

 

てな具合なのでね、中東世界をはじめとして「フェデリーコ2世、ムスリム説」を支持する人は、少なからず居るようですよニヤニヤ

 

ただ、フェデリーコは科学や真実を好み、宗教すべて嫌いな無神論者だった、という説もあります。

 

真相は本人のみぞ知る、です。

 

フェデリーコ2世の墓所に刻まれた碑文

 

 

あ、私は別に、彼がムスリムだったかもしれないから好き、とかでは全然ないんですのよ😅

 

ただ単に他者の宗教や文化に寛容で、敵をも同じ人間として尊重する人だった、という方が、歴史物語として素敵と思います。

 

 

いずれにしても、そんな人物や風潮を生み出したシチリアが、本当に独特で面白いって一言に尽きます‼️

 

 

 

今も昔も、対立の解決策は友好と対話しかない、ということを歴史は教えてくれてるんですがね……

 

答えはこんなにカンタンなのに、それが多くの人間にとっていかに難しいか……

 

ということも、今日という日の連なりである歴史が、嫌というほど思い知らせてくれるのです。