ではでは、神聖ローマ皇帝フェデリーコ2世とアラブ・ノルマン建築をめぐるパレルモの旅、まいります‼️
フェデリーコのファンは世界中にいるけど、私たちはイスラームがらみメインで見ていきますよ🙋♀️
最初に訪れたのは、ズィーザ宮殿 La Zisa。
ここ、まさにシチリアのクリスチャンとイスラームの融合の歴史の象徴みたいな場所
ノルマン朝シチリア王のグリエルモ2世が、アラブ人の👳♂️職人に造らせた夏の宮殿……なので、
館内は、イスラーム建築の要素が満載🕌
そもそも宮殿の名前ズィーザからして、回廊に彫られたアラビア語の碑文にある、アル・アズィーザ العزيزة 「親愛なる者」に由来するとか
外壁の上部とかにもアラビア語の装飾があったようですが、途中の改築で削られたりして残っていません
メインホールや各部屋には、イスラーム建築によくみられる、
預言者ムハムマドﷺが啓示を受けた洞窟をイメージした窪み状の装飾、ムカルナスが造られています。
窓に嵌め込まれていたという木製の格子が展示されてましたが、これ、中東では今でも現役のマシュラビーヤですね。
強い日差しを遮りつつ風を通すし、外から中は見えず、中からは外が見えるからプライバシーが守られる……という優れものなんですよね〜👍
メインホール中央には、水路と噴水が作られていて、さぞかし涼しく、心地良かったことでしょう。
この水路は、庭園の人造川にまで流れるしくみになっていたとか。
イスラームの造園では、十字に交差した水路は天国を流れる4つの川を象徴しています。
4つの川には、それぞれ炭水、ミルク、蜂蜜、葡萄酒が流れるとクルアーンにあります
ちなみに、宮殿と狩場をふくむこのエリア全体は、ジェノアルドGenoardoと呼ばれてたそうですが、
これもアラビア語で「地上の楽園」を意味する、ジャンナ・ル=アルドجنة الأرضが語源なんですって〜。
展示されていた墓石。ラテン語、アラビア語(下部)、ヘブライ語、ビアンツギリシャ語で併記されている👀
ノルマン・シチリア王家はその名のとおり、仏🇫🇷のノルマンディー地方出身✝️で、
シチリア島にいたアラブ人☪️やビザンツ帝国☦️と戦って、その支配者になった人たちですが。
彼らを追い出さずに共存し、それどころか、ムスリムにとっての天国をイメージした宮殿で時間を過ごしていた、とは面白いです。
ビザンツィンの装飾技法であるモザイクも使われています
こんなイスラーム色あふれる城で幼少期を過ごしたのが、フェデリーコ2世。
ラテン語だけでなくアラビア語など9ヶ国語を操り、廷臣にはムスリムも登用しました。
ムスリムの起こした反乱を鎮圧するも、処刑や流刑にはせず、自治区を与えて信仰の自由を認めたり。
その彼が暮らした、もう一つの城は、ノルマンニ宮殿 Palazzo dei Normanni。
ここはもともと、アラブ人がシチリアを支配していた9世紀に築かれた建物🕌で、後にノルマン王家が増改築したもの。
王の私室空間だったという部屋、12世紀のままです
この宮殿の中にある王家専用の、パラティーナ礼拝堂Cappella Palatinaというのが面白すぎた〜‼️
キランッキランッの黄金のモザイクで覆われていて、その眩さに思考停止になりますが、
カトリック✝️のノルマン王家の私的な礼拝堂なのに、まるでトルコのアヤ・ソフィア👈やラヴェンナのサン・ヴィターレ👈のように、モザイクで正教会☦️っぽい空間になってるの、ちょっと面白い。
アラブ・ノルマン様式って、正確にはアラブ・ノルマン・ビザンツィン様式というのも納得です。
ですが、面白いのはそこじゃなくて、
信者が座るスペース(身廊)の天井が、またしてもムカルナスになっていてですね……
これ、現地で肉眼だとあまり見えないし(双眼鏡必須)、携帯の望遠だとこれ↓が限界なのですが……
近くで写された写真をお借りして見ると‼️
八芒星の周りにびっしりと、アラビア語の碑文が残ってるんです〜‼️
ここ、王家専用の礼拝堂の天井ですよ❓❗️
しかも中世も中世、十字軍どんどこ送りこんでた時代にですよ❓❗️
このアラビア語の碑文、状態が悪く、すべての解読は不可能だそうですが、
解読できた部分には、王の権力、繁栄、善良さ、健康などを願う内容が書かれているそうです。
コーランからの引用では?と思われる部分もあるそうだけど、ハッキリしないらしい。
白い碑文の外側の黄色い連続模様もアラビア語クーフィー体のように見える。
碑文以外の部分には、人物や動物などの絵が描かれていて。
イスラームで禁忌の絵画とムカルナスの組み合わせ、というのが爆誕してて、これまた面白い。
もぉ〜、輩出した人物も型破りなら、文化も超独特で面白すぎますね、シチリア。
そんなイスラミック・パレルモ見聞録、つづきます♪