異教徒禁制の「岩のドーム」「キブラモスク」内へ【イスラエル旅行記④】 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル
 
口頭審問(?)による宗教チェック👈を受け、ムスリム用の入り口から「神殿の丘」に入りました。

 

 

 

さっそく、敷地の中央にある、岩のドーム مصلى قبة الصخرة‎ へ‼️

 

7世紀に、神聖な岩を護るために築かれた建物です。

 

完全装備になったワタシ。イエメン留学のために用意したアバーヤが役に立ちましたよ

 

 

外壁の青いタイルは、16世紀にオスマン朝の建築家(ミーマール)、スィナンが修復のためほどこしたもの。

 

 

 

さて、非ムスリムも「神殿の丘」の敷地"までは"入れますが、

そこに建つ宗教施設はムスリム以外の入場不可🚫です。

 

これより以下、実際にはムスリムにしか見れない世界をご堪能ください✨

 

 

 

中に入ると、中央にドドンと、柵と柱で囲まれた広い平たい岩があり、柵の外側一周は礼拝スペースになってます。

 

 

 

岩の上はドーム天井は、金箔が使われたモザイクで装飾され、こんなの見たことない‼️と叫びたくなるほど美しい✨

 

 

 

建築当時、周囲にあったビザンツィン教会で使われていた装飾技術を用いたそうで。

 

そのためか、モスクではふつう偶像崇拝として避けられるような、果物🍇や壺など具体的なモチーフがモザイクで描かれています。

 

 

 

で、この岩がなぜ大事かと言いますと……、

 

✡️✝️☪️共通の逸話に、アブラハムが神から息子を生贄にせよと命じられ、従おうとした瞬間、神の使いが現れ「お前の信心はわかった」と制止、代わりに羊🐏が与えられた……というのがありますが、

 

ユダヤ人✡️によれば、この岩こそ、アブラハムが息子を横たわらせ、屠ろうとした場所。

 

後日に書きますが、エルサレムの正墳墓教会にあったアブラハムの「その瞬間」を描いたモザイク

 


紀元前11世紀にはソロモン王👑がこの岩の上に神殿を建てます。

 

ここの敷地を「神殿の丘 Temple Mount」と呼ぶのは、このため。

 

旧約聖書に登場するモリヤ山がこの丘

 

 

その際、この岩には✡️にとって最も大切な、モーセが神から授かった十戒を記した石板が、「契約の箱」に納められ、安置されていたそうです。

 

 

 

 

のちに、岩の上に再建されたヘロデ神殿は、イエス・キリスト✝️が、「神の家で商売とは!」と激怒し商人たちを追い出した、「宮きよめ」が起きた舞台です。

 

 

 

一方ムスリム☪️は、ここの敷地全体のことを「高貴なる聖域 الحرم الشريف (ハラム アッシャリーフ )」とか、「至遠のマスジドالمسجد الأقصى(マスジド・アル=アクサー)‎」と呼びます。

 

イスラームの成立初期、ムスリム☪️はマッカのカアバ🕋ではなく、ここへ向かって礼拝をしていたほど、神聖な地なんです。

 

キブラ(礼拝の方向)の変更を指示する啓示(雄牛章142-144)が下され、カアバ🕋になりました。

 

 

そして、ムスリム☪️にとっあの岩は、預言者(saw)天の最高階に召喚された、「ミイラージュの旅」に飛び立った場所

 

↓↓↓

 

ある夜 預言者ムハムマド(saw)は、天使ジブラーイール(=ガブリエル)に導かれ、空飛ぶ馬(のような生き物)ブラークおすましペガサスに乗って、マッカ🕋からエルサレム🕌まで、ひとっ飛びの旅をします。

 

このエルサレムまでの旅は「イスラー🌌」と呼ばれ、クルアーンにその名を冠した章ががあります。

 

 

降り立ったのが「至遠のマスジド」こと、いわゆる「神殿の丘」。

 

預言者(saw)は、今でいう「嘆きの壁」(←後日ブログで書きます!)にブラーク🦄を留め、岩の方へ進むと

 

イメージ写真💦ブラークはいわゆる馬ではないです✋

 

 

この岩の上で、イエス・キリストやモーセなど、以前に使わされた預言者たちと会い、共に礼拝をし、

 

 

 

空に登る梯子のようなもので、その岩から天上界に上がり、天国や地獄を見学し、さらにはアッラーの御前に召され対話し、また戻って来たのも岩の上。

 

地獄を見学する預言者(saw)

 

 

ちなみに、岩の下には天然の広い洞窟のような空間があって、✡️✝️☪️共に神聖視されてきたそうですが、

 

☪️では、このミイラージュの時に、岩が預言者(saw)を一目見ようと持ち上がったため出来たとか、審判の日を待つ死者おばけくんたちの魂が聞こえる場所とか言われ、「魂の洞窟」と呼ばれています。

 

この中もまた礼拝所になっています。

 

 

岩のドームの向かいに立つ、キブラ・モスク الجامع القِبْلي にも入ります。

 

 

 

このモスク🕌、敷地全体⛰の名前である「マスジド・アル=アクサー(至遠のモスク)と呼ばれることも多いハッのですが、

 

アラビア語では、「キブラのモスクالجامع القِبْلي」「キブラの礼拝所المصلى القِبْلي」などと呼ばれ、敷地全体の名称とは別物として、区別されています。

 

 

 

8世紀に建てられてから、地震や十字軍十字架の攻撃など受け、修復や増築を繰り返したので、いろんな様式が混在しているようです。

 

ファサード部分は、十字軍時代に宮殿として使用された時のものという説も。

 

 

1960年代には狂信的なクリスチャンが放火🔥し、12世紀にサラディンが設置した、中世イスラム美術の最高傑作だったミンバル(説教台)消失ガーン 今置いてあるのはレプリカえーん


 

 

でもキブラの前あたりは、11世紀に修復した状態のままの、モザイクに覆われた一角が残っていて、壮麗です‼️

 

 

 

このアーチを潜ると、さらに金箔をふんだんに使った、黄金のドーム空間が‼️

 

 

 

ちょうどそこで、アザーンが鳴りはじめ、礼拝時間になりました。

エルサレム滞在中、このモスクで3回、岩のドームで1回の礼拝に参加することができました✨

 

プロローグ👈で書いたように、30年前にイスラエルに来た時の私はムスリムじゃなかったので、同じ街に来ても、今はムスリムとして見て、感じて、体験をできることが、とても感慨深かったです✨