【イスラエル旅行記①】プロローグ 30年で変わったこと | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル
 

犠牲祭の休みに、イスラエル🇮🇱に行ってきました。

 

 

 

オットが以前から聖地エルサレムに行きたがっていたものの、情勢が心配で、子連れの旅先にするのは気が進まなかったのですが、オットの熱意を汲んでやっと行くことにしました。

 

イスタンブールからは✈️2時間ほど

 

 

私、イスラエルには13歳の時に行ったことがあり、ほぼ30年ぶりの再訪です滝汗 光陰矢の如し

 

その時は、敬虔なクリスチャンな祖母との、イスラエル全土の聖書にゆかりの場所を周る巡礼旅行十字架でした。

 

祖母はイスラエルに生涯で6、7回は行った人。

 

そんな祖母に小学生の私が、死海で浮いてみたいというミーハーな理由から、「私も行きたい〜」と軽く言ったところ、大喜びで連れて行ってくれることになったのでした。

 

いわゆるこんな写真を見ましたよね

 

 

祖母は、私を2歳くらいから、教会⛪️(プロテスタント)の日曜礼拝に連れて行ってましたから、私が「イスラエルに行きたい」と言い出すなんて、神のお導きと思ったでしょうね。

 

私自身、物心ついた時には、自分はクリスチャンだと思っていました。

 

毎晩ベッドでお祈りをしてから寝た🙏し、家族揃っての夕食では、私が家族代表で食前のお祈り✝️を担当してました。

 

両親と祖父はクリスチャンじゃないんですが、ちゃんと手を組んでつき合ってました😅

 

 

中学校からはミッション・スクール十字架に入り、毎朝の讃美歌と聖書📚の時間、週二のチャペル🔔での礼拝、週一の聖書科の授業(期末・中間テストも)あり、クリスマスクリスマスツリーやイースター🥚には特別礼拝……という生活になりました。

 

運動会🏃‍♂️や始・終業式、入・卒業式卒業証書だって、牧師による祝祷で開始し、祈りで終了するほどだったんですよてへぺろ

 

校庭でこんなのをやってから運動会開始。でも好きだった、こういう世界w

 

 

制服はイギリスの修道女の服をもとにしたデザインで、映画『天使にラブソングを』の見習い修道女ロバートの衣装に似てました。

そういや、あの頃あの映画も大好きでしたわ〜

 

もちろん頭巾はありませんよ✋冬はブレザーを着るので、普通のスカートに見えました。

 

 

いや、こう書きながら思い出すと、ガチのクリスチャンでしたわね、私😁

 

そもそも私の名前はかなり宗教色の強い漢字を使いますが、父(無宗教)がもっとも有名な讃美歌や、キリスト教の教えから発想を得たのは明らかです。

 

ここまで書いてくると、家族の中で唯一のクリスチャンだった祖母の影響力すごいな

 

 

そんな私ですけれども、ビックリなことにですね、洗礼を受けていなかったんですハッ

もちろん信仰が1番ですが、理論上はクリスチャンじゃなかったってことですよポーン

 

祖母の「お前が18歳とか20歳とか自分で判断できる歳になって、洗礼を受けたいと思ったらしなさい」という方針によるものでした。

 

子供の頃の私は水が怖かったので、洗礼式もちょっと怖く、先延ばしされてホッとしてました💦

 

 

ところが、実際にその年齢になってみたら、思いがけないことが起こりました。

 

思春期の自分探しのなのかで、宗教面でもモヤモヤしていた私は、15歳でトルコに興味を持ち、16歳でトルコへの交換留学の奨学生に選ばれました。

 

「トルコの宗教、イスラームについても知っておかねば!真顔と思い立たった私はマジメだったねぇ〜

なぜか「5分でわかる!イスラム教」みたいな入門書でなく、よりによって井筒先生の抄訳『コーラン』を手に取ります。

 

 

 

これがあまりにも衝撃ハッでして。

 

私のそれまでの宗教的な疑問やモヤモヤが、ぜんぶ鮮やかに解決乙女のトキメキしたんですよポーン

 

それまで自分の中で、疑問を考えて「本当はこうじゃない?」「実はこうだったら良いのに」と辿り着いた仮説みたいのが、そっくりそのままクルアーンに書いてあった‼️

 

そう言われれば確にそうだ❗️と目から鱗なことも次から次に。

 

え、イスラームって私が思う神様そのもの、真理そのものじゃないか‼️とビックリ仰天したんです。

 

 

 

「私はどちらかというとクリスチャンより、ムスリムなのではないか?」と思い始めたのですが、もちろんすぐに飛び込む勇気も確信も持てません。

 

どっちつかずで数年が過ぎた20歳のある日、思いがけず背中を押される機会がトルコであり、シャハーダ(信仰告白=ムスリムになるための唯一の儀礼)をしました。

 

20歳になったら、洗礼を受けるはずが、ムスリムになってしまいましたてへぺろ

 

 

 

祖母が洗礼を保留しててくれたのは、このための運命だったのかなと今は思います。

 

だけど、キリスト教の基礎知識が無ければ、いきなりクルアーンの抄訳を読んでも理解できないだろうから、クリスチャンとして過ごした経緯は、私にとって必要なものでした。

(イスラームでは、同じ唯一神を信じているユダヤ教とキリスト教のトーラーと聖書も聖典と見なしていて、クルアーンはそれらの内容を前提とした上での神が語りかけている)

 

キリスト教に影響を受けてつけられた私の名前の漢字、何とクルアーンのほぼすべての章の冒頭にあり、ムスリムがあらゆる行動を始める際に唱える「バスマラ」の日本語訳に2回も登場します。

(=アッラーの美名のうち2つ)

今は、生まれつきのムスリム・ネームのように感じています。

 

 


というわけで、30年近い月日が流れ、三つの宗教の聖地エルサレムに再び降りたったわけですが、以前はクリスチャンとして、いまはムスリムとして、違う立場と目線で見ることができました。

 

いつもよりさらに長ったらしい上に、多くの人がアレルギーあるであろう😅宗教的なハナシのプロローグにお付き合い頂き、ありがとうございます。

 

それでは、イスラエル旅行記、はじまり始まり〜♪