追悼… | ☆ドリーミィー・フェザー☆

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複雑性PTSD~うつ病、離人症を患っている 元ぬりえ画家のお絵かきブログ。
高瀬は発達障害と様々な特異体質の持ち主です。
靭帯損傷で右手でペンが握れなくなった為、左手で描画の特訓を続けてきましたが、
現在は右手でも描けるようになりました。 

こんばんは。高瀬です。

 

更新がまた 一ヶ月以上空いてしまいました。

房総はいつのまにやら春っぽい~♪

 

 

 

松本零士さんが…お亡くなりになりましたね…(TωT)

 

高瀬にとって初めての松本零士漫画は「男おいどん」でした。

小5だったと思います。真夏の鹿児島の祖母の家で。

 

その後、中学の頃でしたか…教室中(黒板とか小黒板とか)にサルマタケ(と縦縞のサルマタ)にまみれたトリさんを描きまくるという、とても思春期の女子とは思えない謎行動により、周囲を困惑(げんなり?)させて…いた…かもしれない…何とも言い難い記憶が蘇りました…汗

で、高校生になっても懲りずにソレやってたと思いますA( u _ u;)

本当に女子力のカケラもないJC、JKでした。すみません汗

 

 

サルマタケの絵ではなくて残念ですが…

 

 

そういえば大昔…放送委員をしていた小6の弟からお昼の放送に使うレコードをせがまれて、交響組曲「宇宙海賊キャプテンハーロック」サントラ盤(LP)を持たせましたら、顧問教師の逆鱗に触れたらしく、弟だけでなく 当時高1だった高瀬も一緒に小学校に呼び出されました。(親の代わり)

 

で、その顧問が高瀬の顔をみるなり「あ~っ!やっぱりお前だったのかぁ~あせる」と頭を抱えて顔をしかめ苦悩の表情(出身小学校でそんな反応をされることをしでかした覚えは無いのですが…この先生知らないし) 、その後弟と2人正座をさせられて長々とワケワカメなお説教を食らった記憶も…

JS時代も酷かったのが判明したってことかしら…_| ̄|○_汗

 

まぁ…交響組曲とはいえ、アニメのサントラを学校放送するなんて言語道断!という、そんな時代だったんですね。(1978年頃の話です)

 

いやなんか…封印していた黒歴史が芋づる式に掘り起こされそうで悪寒が走り始めたので、この辺で思い出すのはやめておきましょう。

 

 

 

 

松本零士先生、沢山の素晴らしい作品をありがとうございました。

安らかな眠りにつかれますよう、お祈り申し上げます。

 

何かファンアートをと思ったのですが(40数年ぶりのサルマタケを?Σ( ̄○ ̄;)

そのために空けておいた時間+1時間以上が友人との楽しい通話で潰れてしまったので、あっさり諦めた根性無しの高瀬でした。眠い…

 

 

 

 

そしてですね、2月10日に 義父が享年96歳で永眠致しました。

現在 亡くなられる方が非常に多く火葬場が混みあっていて、9日待ちの19日に やっと火葬を執り行うことが出来ました。

 

落下事故で頭を打って脳卒中を起こしたのをきっかけに、認知症を発症してから十数年…ここ5年程は、世話をする私や義母(妻)のことすらも判別できなくなっていて、ちょっと目を離すと置いてあったハンドクリームを1本食べつくしてしまったりといった事故も頻発し…でも義父は全くお腹こわしませんでした。凄いっΣ( ̄○ ̄;)

 

私が毎日通うのが無理なこともあり(というより、義兄にコロナ持ち込むから来るな!とか言われ続けてましたが)、義母の体力が限界に達し、ふくよかで綺麗だった義母が痩せこけてボロボロになりました(TωT)

 

昨年なんとか特養老人ホームに入所できたものの、コロナ禍の為 直に会うことが全く許されず、TV電話で お互いに顔を見て声をかけることはできるのですが、義父は早々に こちらに興味を示すこともなくなってしまいました。

 

 

その後 義父は コロナを患い入院するも 見事に克服。

だた、その後に全身の不調が続き、ここ半年は口からの食事も摂れなくなり、胃瘻措置をしたらしいのですが、そのまま数か月で静かに亡くなりました。死に目には会わせて貰えませんでした。

 

義兄はもっともっと延命措置を施したかった様なのですが、

何も解らず動けず家族にも会えず、食べる楽しみすらもなく、ただベットに横たわっている状況で生かされる義父の気持ちは…はたして如何なものなのだろうかと…疑問でした。

 

 

 

 

それは人それぞれなので 他人には解るはずもないことですが…

 

私は若い頃から、死ぬことではなく、将来そんな状況で生かされる苦しみを夢に見てはうなされる程の恐怖があったので、義父を見ていて心底つらかったのです。私の勝手な思い込みなのかもですが…

 

 

 

義父は50歳で早期退職し、その後30年近くも趣味の旅行三昧を楽しんだ人ですし、優しい妻に愛され、可愛い時期の孫たちとの旅行も実現し、孫の成人した姿も見届け、それほど思い残すことも無い 良い人生だったのではないかと…と思いたいです。

嫁(高瀬)にはいつでも味方をしてくれる優しい義父でした。

 

 

※義実家ではありません

 

プライドの高い人でしたので、家族に下の世話をされ始めたあたりで、自らどんどん認知症に進んでいったのではないかと思う部分もあるのです。

 

もう7~8年前のことですけど、呆けていた義父が 時折以前の義父に戻り、普通の大人同士の会話ができることがありました(1時間くらい続くこともある)。目つきも以前の義父の輝きに戻るのです。

ところが、そこへ義兄が来て義父を子ども扱いし始めたとたん、すっと痴呆症のぼんやりした義父に戻ってしまうのです。そんな現象?を何度か経験しました。あれはいったい何だったのか…

 

義兄に何か意見をしても 後々義母が大変な目に会うだけなので(説教で一晩中寝かせてもらえない等)殆ど何も話せませんでしたが、何故にわざわざ義父をそこまで子ども扱いするのか不思議でなりませんでした。

私には解らない親子の葛藤があるのかとは思いますけれど…

 

お義父さん、ご冥福をお祈りします。安らかに…

 

 

 

さて、繰り上げ法要でようやっと落ち着いたと思ったら…

ホッとしすぎたのか、眩暈と片頭痛で、昨日の丸一日と今日の昼過ぎまで、すっかり寝込んでしまいました。

今は元気ではありますが、まだまだいくらでも眠れそうです(笑)

 

 

次回、この画面の下半分に、眠り姫さんと…お菓子の家とヘンゼルとグレーテルっぽい絵を入れる予定でいます。

(本当はそれも今日やる予定だったのですけどもね…A( ̄▽ ̄);

 

 

 

いつも 拙ブログに遊びに来てくれてありがとうございます。

 

それではまた、近いうちにお会いしましょう。

おやすみなさい。(・▽・)/