前回の記事のコメント欄で、
「もう少し聖書を読んでみてください」というお言葉をいただきましたので
聖書を読んで、ものみの塔流に解釈すると大艱難がどうなるのか
黙想してみることにしました。
「その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,
他方は捨てられるのです。二人の女が手臼をひいているでしょう。
一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。
それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,
自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。」
(マタイ24:40-41)
*ちなみにC.T.ラッセルは上記の聖句を聖書研究者の中にも
聖別されていない人、つまりキリストの隣に座って
王として支配する特権を得れない人がいるという意味に
解釈しました。といっても捨てられる人は
「王国の共同相続人」になれないというだけで天に行く人で
あることには変わりません。
以下、現在のものみの塔の解釈に沿って黙想。
野にいる男のうち、連れられて行く1人に対して捨てられる男が999人もいた。
手臼をひいている女で連れて行かれる者は若干男より比率が多かった。
恐らく女性は家にいる時間が多かったからであろう。
続いて、捨てられる男と女の罪名が読み上げられた。
カール・オロフ・ジョンソン
罪名:西暦前607年を信じなかった罪

レイモンド・フランズ
罪名:ピーター・グレガソンと食事をした罪

エドワード・ダンラップ
罪名:クリスチャンに二つの級があることを認めなかった罪

キャンディス・コンティ
罪名:大したことないことで躓いて協会にたてついた罪

その他多数
罪名:イスラム教国に住んでいるのにアメリカに移住して音信を聞かなかった罪

そして罪名が読み上げられる中、
ニューヨーク本部の Ciro Aulicino は、
サディスティックな欲望が満たされていくのを感じてほほ笑んだ。

黙想 終わり