阪神大震災から29年〜エホバの証人人生と照らし合わす震災と神戸 | エホバの証人ディアマンテのJW人生回顧録

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人をのろわば穴二つ。
この事を理解出来ない組織に執着し粘着し密着します

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阪神大震災から29年になりました

改めて被災者の方々にお見舞い申し上げると共に、1995年1月17日という自身も

エホバの証人真っ只中にありながら、

この阪神大震災で人生がどう翻弄され展開して行ったか記します。自分軸な話しばかりで申し訳ないです。


【阪神大震災発生は、父親の死からわずか17日】


父親の死、阪神大震災、そして石●絋●による、葬式迷惑の暴言が立て続きます。


【忘れられない、地面からの地響き音】


床に布団敷いて寝てた私を起こした揺れと、ゴオオオオーという地響きがしました。


【阪神大震災と石●絋●との出会いがなかったら広島にとどまったかな?分からないけど】


まあ、エホバの証人でなければ広島に行って無いとは思うんですが、そう思える鍵は、最初に住んでた家が素晴らしい家だった点です。瀬戸内海が見える高台、

クルマは複数台停めれる、平家の一戸建て。良かったんですが、彼から逃げる為に一度引っ越し。次は帰阪してしまいました。

例えばですが、仮に広島で結婚してたらば、おいそれと帰阪出来なかったでしょう。


【阪神大震災発生による関西圏への愛着と

、微力ながらお金を落としたい思い】




既にこのブログでは、廿日市市阿品会衆の長老、石●絋●bにどれだけイジメられたかは書きましたが、結局のところ

大急ぎで帰阪したのは、広島ではなく

神戸や大阪にお金を落としたい思いでした。


【結局のところ川西市に行く事になったのも阪神大震災発生がきっかけ】


元妻は西宮で全壊被災者です、

これがきっかけで震災復興住宅のある川西市に住みました。以後私と知り合っています。


もし阪神大震災がなかったら…

私は川西市とは無縁だったかもしれません。結論的にはそこで愛猫を🐈拾えたので、何度も言いますがそれでイーブンには出来ます。ただ、やはり川西市を代表する悪徳長老達や昨今の特別開拓者との出会いは最悪でした。が!組織の膿を出す点で

彼らは暗躍しました。もちろん石●絋●もです。


阪神大震災はやはり関西圏に住む人の人生をいろいろ変えたでしょう。私もその1人です。


でもやはりエホバの証人に出会わなかった世界線は経験したかったですね。


新たにというか能登地震が起きました。

こちらも微力ながら寄付始めてます。

もちろん、ものみの塔聖書冊子協会には

寄付する訳がありませんw