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ものみの塔が主張していた、信者を守るために元信者を忌避するということは異論があります。
それはどんな組織に退会制度や契約解除があっていいし仕方ないですよ。もちろんまともに使用・働いてる人に悪影響が及ばないようにってのも分かります。
例えば、ある人が退職しました。
自己都合か会社都合かはわかりません。
それでも従業員通用口の解除パスワードは変わります都度。「パスワードは〇〇〇〇に変わりました。」は誰かが辞めたって事を知らせます暗に。
実際に、同じ職場だから仲良くしたり話しても、辞めたらほぼほぼ疎遠です。
仮に、辞める人が職場の人に上司が嫌だから・企業体質風土がイヤだから辞めると告げたら確かに残った職場の人は引きづられますが、まあその人まで辞めて行くのはなかなかありません。
街中で、辞めた人と残った人と出会っても
2、3言会話する程度でしょう、、
ものみの塔聖書冊子協会は
言わば上述程度の悪影響すら、
信者が元信者を忌避することで守ろうとしてますが、やり過ぎです。
私は以前から排斥制度の正当性を説く
協会の出版物に
「当人に衝撃を与えて本心に立ち返らせる」はやり過ぎだと言っています。これは
協会が人を人と思わず、物扱いしています。いや、物より粗末かと。
ある長老は排斥制度のそれを
「霊的電気ショック療法」と言いました。
まったく酷いことです。
忌避(フル無視)とは
・病原菌扱い
・透明人間扱い
・今日からあなたは敵
・芸能人格付けチェック番組の映す価値無
・宗教的死刑(実質死んだ人扱い)
信者が一斉にフル無視して、一気に排斥当該者を孤独にさせ、耐えられないから復帰するという目論見がありすぎますが、
考えてみてください。
そこに神の愛はありますか?当該者は神の愛を感じて復帰しますか?
そんなわけがないんですよ。
まあでも、
ものみの塔聖書冊子協会は
きひと、きふが好きなんだね
忌避と寄付
kihi &kifu(もうええ)
人を人と思わないからこんな無慈悲で
冷酷な言葉が出るんですよね。