似合わないものに 決別を。 | まめちゃん くらしを見直す!

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母親の胎内環境から既に悪く、乳幼児期から最悪な食生活で育てられたために 病気のデパートだった、生きているのが奇跡だと医者にも言われ続けて来た身体を、あらゆるセルフメディケーションにより作り直し中。きっとお役に立ちます!

断捨離を

バッサバッサ としている最中である。


今日、完全に吹っ切れたことを書いてみたい。


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少し前に

別荘マンションを売却し

コロナ禍もあって ほぼ定住した数年

のせいで、かなりの荷物があった。



もはや別荘の域ではなかった。普通の家以上の物があった。



それをかなり処分し、

それでも半分くらいは今の家に搬入した。



今の家も、既に飽和状態だったのに

物が うず高く積まれた。

それを 毎日作業して、やっと3ヶ月ほどで片付けた。




そこへ

リタイアした夫が

人一倍物が溢れた状態の研究室から

たくさんのものを引き上げて来た。



賽の河原状態に

私は憔悴しきってしまった。




簡単に捨てられない

ものばかりだそうだ。



そんなはずはない。

この先、おそらく陽の目を見る事は無いだろうモノばかりに見える。



100%要らない

というモノか、

壊れていたり、古過ぎたり、劣化している

というモノ


だけは 捨てていた。



あとは何とかしてどこかに仕舞う

というミッションが私にのしかかってきた。



そのためには

私の物をどんどん断捨離して場所を作るしかない。



今までもそうしてきた。




この、あり得ない苦労の賜物として、

私だって、普通より ややマキシマリストだった過去を完全に脱ぎ捨て

物を極限まで減らす作業が、サクサク捗るようになった。




今日は、帽子👒やスカーフ、ストール🧣の類を整理、断捨離していた。




帽子には、かつて大枚をはたいた。

夫源病の時に やや薄毛になり

コロナ後遺症脱毛の時には

極端に薄くなり

地肌が透けていたので



帽子無しでは外出できなかった。




その時 手持ちのコート🧥類に合わせて、又、夏は夏で、夏のオシャレ着に合わせて、かなりの数の帽子を購入した。




百貨店で、ウィッグのコーナーの横を通り過ぎた時に、目が合った店員さんが私の頭を一瞥して、ぜひ試着して行きませんか?

と言われて 試着したら、別人のように若々しくなった鏡の🪞中の自分に驚いたが、



本当に自然に 元からフサフサであるかのように魅せてくれるウィッグは

50〜70万するので、更に驚いた。

20万円くらいから あるにはあったのだが、安い物はどうも わざとらしい雰囲気になる。



自力で毛量を回復させる気まんまんだった私は、2、3年くらいの間 薄毛状態のために、そこまで大枚をはたく気はなかった。



ていよく断り、

次に帽子👒コーナーへ向かった。



一万円から二万円 程度で、素晴らしい帽子が並んでいた。

冬物を7点ほど購入し、夏は夏で、やはり

一万円程度のものを7点ほど購入した。




ウィッグに比べたら安いものだし

毛量が回復しても、ずっと被れるのだから、無駄な買い物には思わなかったし

実際 二年間くらいは助かった。




しかし

その頃から、

私はある事に気付いていた。




それは、

年齢顔は、帽子によって

さらに老化が目立つ

という現象である。



いわば、影が出来るせいで

悩みの 目の下の弛みや

頬の垂れ下がり

マリオネットライン

などが 際立つのである。




同じ事を、

ウィッグ試着の時にも感じた。

前髪のあるタイプのウィッグだと、

若々しい豊かな髪に 老化して垂れた顔が

ミスマッチ

なのである。



私の顔は

パンパンにお肉が付いているタイプなので、シワがほとんど無いのが取り柄だが、そのかわり、そのお肉が悲惨に垂れ下がっている。



それが、

前髪や帽子👒で、際立つのである。



いま、帽子を👒断捨離するのを決意出来たのは、9割がた、毛量が回復したのもあるし、元々 帽子を被った顔が気に入らなかったと

よくよく思い出したからである。



若い頃は、帽子が似合うね、

と言われたものだが、今は違う。

自分でこんなに不満に感じるものは

たとえ高級品でも

今の、いや、今以降の自分には不要なアイテムなのである。



自分を良く見せないもの

加点ではなく減点するアイテム。


それが、帽子なのだ。

前髪なのだ。




メルカリ  で叩き売りしてもなかなか売れなかったら、帽子が似合う友人達に喜んで差し上げようと思う。





似合わないものに 決別を。