いつもありがとうございます。
この方の記事を
いつも自分なりの視点で読ませて頂き、
自分勝手の視点からコメントさせて頂いているのですが…(笑)
ぜひ、私のコメントをご覧くださいませ。
さて、
ほんの少し前までは
勝ち組だの、プチセレブ、セレブ生活の権利証書を手にしたかのように言われていた数々の職種が、
世界の…
日本の…
激しい動きに揺すぶられ、大きく様変わりしていますよね。
しばらくの間は、
それに必死に合わせる事で 生き残りを図ろうとするとしても
近々 限界がやって来ます。
少し前の時代までは、自分のユニークさを活かして活躍出来た職種であっても
今はその他大勢に埋もれた、駒♟️に過ぎない存在になってしまう…
同業者が溢れ返っていて
よほどのウリが無ければ淘汰されてしまう…
こういう時代になっています。
不労所得でリッチな身分 というのを叶えたとしても、本来の、自分のスキルによって、又は努力によって、誰かを喜ばせた代価としての収入を得て満足する、という
「働く(つまり、はたをラクにする)」
労働をしないで
自分だけを喜ばせている生き方を礼賛するのも私的にはちょっとね…と思うのです。
もちろん
ずっと何かに貢献して来て、
お疲れ様…という意味での
年金その他の不労所得によって自分だけのために生きるというのは
当然のシニアの権利ではあります。
が、
それでも、その時々の年齢に応じた何らかの 自分のスキルを活かした収入を得て行きたいとは思っています。
本来の、はたらく という事の精神を忘れずにいるなら、まさに職業に貴賤は無いと私は思いますし、
自分の強みを社会で、仕事で、発揮出来ないとしても
家庭を最高の居場所にするとか、
我が子の人格や能力を育てる事に尽力するとか、得意なことを近所の子達に教えるとか、プロ並みの料理や菜園作りに励むとか…
激しい世界の動きに翻弄されない幸せの形というのは、その気さえあれば いくらでも見つかります。
真面目に、地道にやっていれば
それなりの生活は出来る という、いつの時代にも廃れることがない職種
というのもたくさんあります。
生活をミニマリストにしたゆえに労働時間を極限まで減らし、小さな部屋に住み、
その喜びを書いて出版して大人気
という生き方もあり、それなどは、時代の変化にまさにピッタリで、
自由で、身軽で、
まぁ、色んな生き方があるものですね。
でも、自分が どんな生き方に幸福を感じるのか?だけは、ビジョンを明確にしておき、どんな仕事をどれだけやりたいか
に繋げて行くと
きっと良いのかな…と
私は思っています。