あらたな 「使命」 ③ | まめちゃん くらしを見直す!

まめちゃん くらしを見直す!

母親の胎内環境から既に悪く、乳幼児期から最悪な食生活で育てられたために 病気のデパートだった、生きているのが奇跡だと医者にも言われ続けて来た身体を、あらゆるセルフメディケーションにより作り直し中。きっとお役に立ちます!

初めて、
働きに対する評価と報酬を得て、それでメンタルがポジティブになり、

上質なファッションアイテムも豊富に揃え、
快適な環境で運動も習慣にし…


夢にまで見た、すべてが叶った40代前半を謳歌していました。


もう引っ越しは無い、
と確信していたために
我が家の荷物は📦大きな家に見合うだけ、膨れ上がっていました。


そんな平穏な日々を過ごしていた ある日、
夫が、大学を変わるつもりだ、
と決意を表明し出したのです。


それまでの大学は、地方の斜陽の大学で、年々学生が集まらなくなって、定員割れするようになり、年収も二割カットとなる予定となったため、
夫は見切りをつけて、都内の安定した大学が教授を公募しているのを知り、公募。

すぐに採用され、
とりあえずは単身で大学の近くに住むことに。


生活費は、夫が給与の三分の二、残った4人が三分の一
という分配になりました。


初めは、家族ラブな夫は、週末毎に6時間ほど運転して帰って来ましたが、
やがて、半々でこちらに来て欲しい と。

仕事がかなり増えて、多忙になっていた中、長時間運転して通い妻も始めることになったのです。


しかも、
娘たちは、相次いで都内に憧れ、就職を都内に求めて、夫の方へ合流。


そのたびに、
人数が増えたからと
夫はより大きなマンションに引っ越す事になりました。


引っ越す作業は当然、私です。
家を整え、仕事を調整して詰め込み、さらに6時間ほど運転して夫の家に着き、
そちらでも私を待ってましたと家事をさせる。

さらに引っ越し作業です。


そしてまた長時間運転して家に戻り…



眠っていた癌も目覚めるはずです。憔悴しきっていました。

問題児の病気も発症していて、最悪の状態になっていました。
そちらのケアにも追われていたのです。


再び、ありえない苦難の日々がやって来たのです。
自分に構う暇がないうちに
体内の癌は目覚め、育ち始めていました。


続きます。