働きに対する評価と報酬を得て、それでメンタルがポジティブになり、
上質なファッションアイテムも豊富に揃え、
快適な環境で運動も習慣にし…
夢にまで見た、すべてが叶った40代前半を謳歌していました。
もう引っ越しは無い、
と確信していたために
我が家の荷物は📦大きな家に見合うだけ、膨れ上がっていました。
そんな平穏な日々を過ごしていた ある日、
夫が、大学を変わるつもりだ、
と決意を表明し出したのです。
それまでの大学は、地方の斜陽の大学で、年々学生が集まらなくなって、定員割れするようになり、年収も二割カットとなる予定となったため、
夫は見切りをつけて、都内の安定した大学が教授を公募しているのを知り、公募。
すぐに採用され、
とりあえずは単身で大学の近くに住むことに。
生活費は、夫が給与の三分の二、残った4人が三分の一
という分配になりました。
初めは、家族ラブな夫は、週末毎に6時間ほど運転して帰って来ましたが、
やがて、半々でこちらに来て欲しい と。
仕事がかなり増えて、多忙になっていた中、長時間運転して通い妻も始めることになったのです。
しかも、
娘たちは、相次いで都内に憧れ、就職を都内に求めて、夫の方へ合流。
そのたびに、
人数が増えたからと
夫はより大きなマンションに引っ越す事になりました。
引っ越す作業は当然、私です。
家を整え、仕事を調整して詰め込み、さらに6時間ほど運転して夫の家に着き、
そちらでも私を待ってましたと家事をさせる。
さらに引っ越し作業です。
そしてまた長時間運転して家に戻り…
眠っていた癌も目覚めるはずです。憔悴しきっていました。
問題児の病気も発症していて、最悪の状態になっていました。
そちらのケアにも追われていたのです。
再び、ありえない苦難の日々がやって来たのです。
自分に構う暇がないうちに
体内の癌は目覚め、育ち始めていました。
続きます。