使命 !!  ③ | まめちゃん くらしを見直す!

まめちゃん くらしを見直す!

母親の胎内環境から既に悪く、乳幼児期から最悪な食生活で育てられたために 病気のデパートだった、生きているのが奇跡だと医者にも言われ続けて来た身体を、あらゆるセルフメディケーションにより作り直し中。きっとお役に立ちます!

それからも、
危篤から生還したものの
辛うじて生きているだけの日々が続きました。


そんな身体で
まさか…妊娠するなんて、思ってもいませんでした。


あちこちに不具合があり、
片方の卵巣は癒着していて ほぼ機能していないので、
不妊の可能性がとても高い と医師からお墨付き?を貰っていたのもあり、
避妊ということは していませんでした。


嬉しいよりも…ショックが大きかったのを覚えています。
入籍が先で、結婚式が💒後の計画だったので、お腹の大きな花嫁になるのも恥ずかしい事でした。

大学も、卒論の事、教育実習などで何かと忙しく、
悪阻の中、それらをこなさなければ 更にもう一年留年となってしまうので
弱い身体、悪阻、慣れない主婦業 などと闘いながら
死ぬ思いで 辛うじて生きていました。
その時の辛さは、今でも鮮やかに蘇ってくる程の辛さでした。


一番怖かったのは、
この虚弱さで 無事に 授かった命を生みだせるのか、
育てられるのか、
という事でした。

また、新婚生活も、苦労の連続でした。


料理に関して、とくにそうだったのは、料理というものを知らなかったからです。
作らない母親でしたから、手伝いも当然した事がなく、
手順もコツも、何も分かりませんでした。


夫は、料理上手な母親に育てられたので、料理に対するこだわりは強く、
本を買って それと首っ引きで3時間くらい奮闘して やっと作った料理を 毎日 罵倒されていました。

付き合っている時には
何も要求しない彼でしたが、妻となると違うようで、
いかに自分の母親の料理が素晴らしかったか、とか
お前の作る物は人間の食い物じゃない、とか
悪阻で苦しみながら やっと作る料理はボロクソに言われ続けました。


その辺りから、
なんと、私には ある大きな変化が生じたのです。

続きます。