社会人野球を観戦しながら、改めて野球の分母の広さを思う | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 社会人野球の各チームは、基本的には夏の都市対抗野球を最大の目標としている。まずは、5月から6月にかけて行われる都市対抗野球の地区予選で勝ち上がっていくことが最大の目標となる。もっとも、社会人野球の場合、上位チームは定着しており、都市対抗の本大会出場も、ほぼ定番に近いチームとなっている。

 その、予選前には、多くのJABA全国大会や地区連盟が主導となっている大会なども開催されている。社会人野球の試合に関しては、クラブチームの多い大会は土日開催を原則としているが、企業チームの場合は平日の試合というケースも非常に多い。

ENEOSとSUBARUの試合前の挨拶

 

 関東選抜社会人野球リーグという試合は、関東地区の社会人の強豪チームが4月から8月まで、都市対抗や日本選手権の予選日程などの間隙を縫うような形で、空いたスケジュールで試合が組まれている。練習試合とも違う位置づけでJABA公認試合となっている。大宮公園球場や等々力球場などが会場となっている。

4月23日は等々力球場で行われていた試合を観に行ってきた

 

SUBARU 000 100 000=1

 ENEOS 010 100 00X=2

 

 旧名で言えば富士重工と日本石油ということになるのだけれども、いわば社会人野球の名門同士の対決でもある。ちなみにSUBARUは1953年創部で都市対抗には28回出場、準優勝2回。日本選手権は17回出場で優勝2回。ENEOSは1950年創部で都市対抗には53回出場で、何と12回の優勝。直近では一昨年の第93回大会で優勝している。日本選手権も26回出場で優勝2回という実績を誇る社会人野球の老舗中の老舗でもある。

 日本の高度経済成長とともに社会人野球チームとしても歩みを進め「日石カルテックス」という呼称は社会人野球の象徴のようでもあったくらいだ。その呼称を思い浮かべるだけで、何となく昭和の古き良き時代をイメージしてしまう。

ENEOS阿部雄大(酒田南)

 それにしても、平日の昼間に行われた、どうということのない試合ではあるが、観客は150人くらいはいたかなと思える。こういう試合を観に来ている人は一人もしくは二人ずつというケースが多いようだ。そして、皆じっくりと観戦している。どちらかのチームの贔屓や関係者という人も多くいるのかもしれないけれどもネット裏でニュートラルに観ている人も少なからず存在している。そんな人は、本当に野球が好きな人なのだろうなと思う。また、プロ野球のスカウトの姿もあった。スカウトも、ちょっと気になる選手がいると、どんな試合にでも足を運ぶマメさがないといけないのだなとつくづく思う。

 都市対抗の予選などもそうだけれども、平日も含めて連日試合が組まれている。そして、観客は必ず何人かは入っている。やはり、それだけ野球文化の分母は広いのだなと感じるのもそんな時だ。つまり、シーズンに入ると土日や祭日はもちろん、平日でも日本全国を見渡せばどこかで何らかの野球の試合が行われているのだ。しかも、それなりに質の高いレベルの試合が行われているのである。そう思うと、何だかんだと言われつつも、やはり日本には野球文化が普及定着はしているのだなとは思う。 


SUBARU東恩納音(日本ウェルネス大沖縄校)

 1964年の東京オリンピック以降、日本のスポーツ文化は一気に広がっていった。サッカーをはじめとしてバレーボール、バスケットボール、ハンドボールなどの球技で相次いで日本リーグが誕生して企業スポーツが花盛りとなっていく。野球はそんな時代以前から、企業スポーツの旗頭的な役割を担っていたのだと思う。

 等々力球場のスタンドにポツンと身を置きながら、そんなことにも思いを馳せていた。

 

 この試合の結果がどうなろうと、ボク自身の人生には何の影響もない。それでも、ENEOSの先発で7回を投げた阿部雄大(酒田南)の好投を心で称え、飯田琉斗(向上→横浜商大)や柏原史陽(桐光学園→同志社大)を観られたことはよかったなぁと思っていた。

 なお、試合は4回にENEOSの新人村上裕一郎(宇和島東→九州共立大)の中越二塁打で挙げた得点が決勝点となった。

ENEOSの新人村上裕一郎(宇和島東→九州共立大)

 社会人野球各チームは、これから最も大事な都市対抗予選へ向けて調整していくことになる。そんな中で5月上旬には岐阜県でベーブルース杯があり、九州大会や東北大会も開催されていく。それらをこなしていきながら、5月下旬から6月へかけての都市対抗二次予選へと突入していくのである。