時に、今までの自分の歩みを振り返ってみたくもなるのだけれども | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 ここへ来て、新型コロナウイルスの変異株と言われているオミクロン株が猛威をふるってきていて、またまたいろんなことの予定を中止せざるを得ないという事態になっている。千葉県で女子バスケット部を指導している友人からは「新人戦が中止、学校内でも、クラスター発生で活動自粛」などというメールが来たりして、またまたボク自身も気が滅入っている。まあ、彼も教員生活残り少ないだろうから、自分の思いで最後まで好きな部活で関わっていきたいという思いは強いのだろう。そうした中で、それがままならないのは忸怩たる思いもあるだろうし、精神的にはしんどいんだろうなとは思う。

 ところで、ボクたちの世代は、あの太平洋戦争が終焉して10年以上の歳月を経て、政治の世界でも「もはや戦後ではない」などという言葉も発せられて後に、この世に生を受けている。そして、その後は日本の高度経済成長と共に自分たちも成長していくことになる。

 その間に、東京オリンピックや大阪万国博覧会、札幌冬季オリンピックなどがあった。こうした国際的に日本がその成長ぶりを示していく現象の一方で、安保闘争や、オイルショックなどと言う社会現象も見てきた。とは言え、何だかんだ言いつつも、そのことが直接当時の自分の日々の学校生活などに影響を及ぼしていくことはなかった。

 そのことは、素直に親に感謝してしかるべきことかもしれない。もっとも、当時は、そんなことは微塵も思っていなかったのだけれども…。受験が思うようにならなかったり、起きた結果の負の部分は親のせいだと思っていたこともあったくらいだ。

 ボク自身はやがて、紆余曲折しながらも社会人として世に出るのだけれども、それなりにその世界に身を置きたいなと思っていた世界に片足を突っ込むことも出来た。それはそれで、当時のボクの自己満足は充たされた。そして、社会で七転八倒しながらも、自分の中学時代からの一つの夢でもあった、「自分の著作本を書店に並べたい」という思いを実現することが出来た。それは、やはり、自分の人生の中でも、大きな喜びでもありエポックでもあったと思う。

 それが、小さな自信にもなって、そこから徐々に今のポジションを得られることになっていくのだけれども…。そうなったら、そうなったで難しいことも多く、周囲から「先生」なんて呼ばれていい気になっていたこともあったけれどもねぇ(苦笑)。その実、経済的には厳しいという時代もあったわねぇ。まあ、それは前の同居者(戸籍上は元妻)に勝手に金を使われたということもあったけれどもね…。

 折しも、その頃に母校半田高校で卒業30周年の卒業生代表が講演をすることになっている柊陵セミナーなんていうのがあった。その講師にあろうことか、さほど優等生でもないというか、むしろ学業成績的には劣等生ポジションだったボクが指名されたことで、その後の人生の次のターニングポイントがあったとも言えるのかもしれないと思っている。

 そんなこんなの生活をしながらも、何とか凌いでこられて、ひょんなことから今の会社を興すことになって、今年で10年。今のボクの事務所にもいろんな人間が出入りしているけれども、それぞれのヤツがそれぞれに自分の歴史を背負っているのだろうなと思うこともある。

 そんなことを思うのも、自分自身がある程度、歳をとったからなのかなぁとも思う。いずれにしても、ふとした時間に自分の今までの歩みを振り返ってみるのも悪いことではないとは思っている。そうやって、自分を見つめ直していくことで、もうちょこっと、自分再発見もあるかもしれんし、もう一花もあるかもしれんぞと…、そんなことも思ったりしている。そういう欲どおしい自分も嫌いではない。