1日にして、あるいは一夜にして、立場や状況が劇的に好転する人が稀にいる。そうした現象を人は“シンデレラストーリー”というけれども、確かに現実にそんな幸運を手に入れる人はなきにしもあらずだろう。
児童相談所で働き、決して裕福ではない自転車屋を実家とする娘。貧しくともそれなりの倖せを感じていたが、祖父が倒れ、それを父親と病院へ連れていこうとしていたところで交通事故。さらには、出る時の父親の不手際で実家が火事になる。そんな不幸のオンパレードとなった彼女が、ある日、酔っぱらって踏切で倒れていた男を助けたことから人生が一転していく。
実は大きな病院を開業している男だった。妻を交通事故で失いながらも、8歳になる娘を溺愛しながら二人で裕福に暮らしていた。そんな彼に見初められたヒロインの土屋太鳳は、その後、母親となることで人もうらやむ院長夫人となっていく。という話であれば、まさに“シンデレラストーリー”として、めでたしめでたしとなるのでけれども、そうではなかった。映画🎥『哀愁しんでれら』(渡部亮平・監督脚本)はそんな作品である。
世に、モンスターペアレンツという存在が言われるようになって久しいけれども、実はモンスターチャイルドというのもいるのだ。いつしか、そんなモンスターチャイルドに振り回されていくヒロイン。本当の母親ではない分、一生懸命に母親になろうとしていくことで、余計な焦りが、さらにそれを助長させていったこともあるのだろう。気がついたら、いつしかモンスターペアレンツになってしまっている。
一生懸命に子どもに対峙していこうとすればするほど苦悩していく。幸福だったはずの生活は、日々の苦痛以外の何物でもなくなっていく。当初の幸福は形を変えて歪みになりながら、存在させていこうとすることでさらにスーパーモンスターペアレンツになっていってしまう。
親は子どものためにどこまで命を賭けられるのか。すべてのモノを投げ打ってでも子どもを守れることができるのか。だけど、本当の家族の倖せはどこにあるのか、親が子どもにしてあげられる教育とはどこに存在していくのか。
潤沢な金があって、欲しいものが何でも手に入る。そんな物理的な裕福感だけが倖せなのだろうか。貧しくて決して裕福ではなかったけれども、自転車屋の2階で父親や祖父と妹たちと一緒に過ごしていた時間の方が倖せだったのか…。そんなヒロインの心の葛藤もあった。そして、それらがラストへ向かって走っていくことになるのである。
そういう意味では、ぞっとさせられる映画でもあった。
ところで漠然とした不安というのは、何も女の子だけではない。もはや中年を過ぎて前期高齢者にも差し掛かりつつあるボクにしたって、ずっと持っているモノである。生きている限り不安があるものだ。だからこそ、よりよい明日を求めて生きていこうとしている。それが人間という存在なのではないだろうか、なんてことも思わせてくれた。ちょっとゾッとする作品でもあったのだ。

