昭和歌謡研究② 横井弘作詞の「下町の太陽」と、その12年後の「下町の青い空」 | (株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

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ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

    当時、日本の国民のほとんどが待ち焦がれていたであろう第18回東京オリンピック競技大会。その開催に胸躍らせていた2年前の1962(昭和37)年に発表されたのが横井弘作詞、江口浩司作曲で倍賞千恵子が歌った「下町の太陽」である。そして、翌年には、山田洋次監督作品として、倍賞千恵子本人も主演女優として映画化された。

 歌謡曲の歌詞から、映画ストーリーをイメージして作り上げていくという歌謡曲映画の手法での作品でもある。舞台は、隅田川の向こう側にある石鹸工場(資生堂がモデルか)に勤めるヒロインの倍賞千恵子と勝呂誉の清く正しく爽やかな青春映画でもある。そして、その主題歌としても、この曲が使われたのは言うまでもない。

 いろんなことで神経を使わなくてはならない今の時代では、とてもややこしいことになるのでなかなか使えないシチュエーションかもしれないけれども、映画の中では隅田川を境として「川向う」なんていう表現もあったと思う。また、勝呂誉のセリフでは、「石鹸の匂いのするあなたは、とてもステキだ」というようなこともあったように記憶している。

 その当時、特に東京に向けての中央集権が進んでいた時代の中で、銀座を核として都心へ向かうということが成功者という構図があったのも確かである。そんな中で、それでも川向うに居ても、こんな素敵なあなたがいるんだから、ボクはそんなあなたに思いのすべてを捧げたい。というようなストーリーの純粋な恋愛映画だったような記憶がある。 

 それを、倍賞千恵子のとてもさわやかな歌声が包んでいくことで、モノクロトーンの映画も、いつしかカラー映像だったのではないかというくらいのイメージでボクの中にも記憶として残っている。

 それから12年後、同じ横井弘作詞で、森昌子の「下町の青い空」という曲が発表されている。

 個人的なことで言えば、この曲でボクとしては、「東京へ行ったら、下町に住まなくてはいけない」というか、「下町に住みたい」ということを漠然とイメージしてしまっていた。どういう理由かはわからないけれども、当時ボクはとても森昌子の歌が好きだったということも大きな要素かもしれないとは思っている。

 「下町の青い空 空に笑顔の 花が咲く花が咲く ランランランララ…」

 森昌子の爽やかな歌声で軽快に歌いこまれていた。当時の森昌子の学園歌謡の流れに、家庭編が入っていったという感じでもあった。そして、これが、その後のセンバツ行進曲🎶にもなった「おかあさん」への伏線になっていったのではないかとも思っている。

 それにしても、同じ横井弘という作詞家が、干支が一回りして再び下町を舞台とした詩を書いていることに、なぜか妙に感慨がある。ことに、今の時代になってしまったからかもしれないけれども、下町の空気の中で、さまざまな人たちの触れ合いがあって、まさに「袖すれ合うも他生の縁」ということにもなる。ちょっとお節介なオバちゃんや、うるさいオヤジも含めて、それらすべてが下町だったのではないかという気もしている。

 そして、それが文化として根付いていた時代もあったのではないだろうか…。

 そんなことも、ふと考えながら今、東京下町の錦糸町にほど近い商店街に佇んでいる。