映画『すばらしき世界』のタイトルの意図するところは何なんだろうか | (株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

6 映画のベースとなっているのは、佐木隆三の『身分帳』だということである。元来、西川美和という監督は原作モノではなく、自身のオリジナルが多いという。しかし、今回は佐木隆三の同著が気になり、それを今の時代に置き換えての発想だったという。例によって、何年かをかけて脚本を作り練り上げていった作品である。

 前科を持っていて、人生の大半を刑務所で過ごしてきたという元暴力団員。それが、「今度こそ、堅気ぞ」という思いで、最後の娑婆に出て、社会に溶け込んでいこうと悪戦苦闘していくという話。だけど、あまりにも真っすぐで直情型の人間なだけに、社会の中でさまざまな軋轢や息苦しさを味わう。さらには、何かに取り組んでいこうとしても、前があることが何かと妨げになっているという事実も否めない。

 そこに、そんな人生のやり直し追いたいというテレビ制作の人間たちも絡んでくる。それでも、そういう彼を応援していこうという人、支えようとしてくれる人たちもいる。そんな世界の中で、何とかまっとうに生きていこうとするその苦悩ぶりを丁寧に描いていく。

 やっと、介護施設のサポートの仕事が決まったという彼に対して、支えていた弁護士夫婦(橋爪功と梶芽衣子)や、ひょんなことからつながりを持ったスーパーの店長六角精児、作家志望で彼の更生への足取りを追っていこうと思っていた青年仲野太賀らが、ささやかなパーティーを開いてくれる。そこで歌う、梶芽衣子の「見上げてごらん夜の星を」が心を打つ。そして、そこにこの作品のタイトルの意図があるのではないかという気もした。

 当初、作品の内容とタイトルとの関連性というか、整合性がボクの中では、なかなか取ることが出来なかった。だけど、このシーンでなんとなく納得した。さらに、「世の中もっと、いい加減にテキトーに生きていっていいのよ」というセリフ。それが、娑婆という「すばらしき世界」へのいざないでもあったのではないだろうか。

 宣伝チラシの中で、久米宏はこう表していた。

「小学生のころから映画館に入り浸っていました僕に言わせると、入れ墨の人物が出てくる映画は面白いです。『すばらしき世界』とは映画の世界だと理解しています」

 これは、ある意味ではこの作品で述べようとしていたことに対してのパラドックスではないかとも取れる。それだけ、映画が素晴らしいということなのだろうか。ボクとしては、映画としてのエンドを迎えて、手にしていたコスモスの花とともに、「主人公は、最後にすばらしき世界を味わえたのだろうな」というように理解していた。

 考えてみれば、この役を役所広司が演じたということはやはり「すばらしき配役」だと思う。彼自身、長崎出身なので劇中の博多弁もそれほど違和感はなかったのかもしれないが、それでも、九州人だからこそわかる訛りの違いを研究していたという。そして、あるテレビ番組で、「俳優っていうのは、何年やっても上手くならない」なんて言うことを述べていた。

 それにしても、役所広司という俳優。ボクなんかは、当代一番の演技派と言っていいくらい役に入りきれる人ではないかと思っている。

 行き場がなくなって、博多の義兄弟のところに厄介になったりもするが、その女将さん役のキムラ緑子の存在感も素晴らしかった。また、博多のソープランドのシーンなんかもあったが、そこの女の子とのやり取りや喧嘩シーンもリアルだった。それを撮った西川美和監督は、笑顔の可愛いチャーミングな女子だから、そのギャップも面白い…(なんて言うことを書くと、また、ナンたらカンタらいう人もおるかもしれんけど、オレは森喜朗ほど有名人でもないし偉い人でもないでええか)。