橋下徹氏、高市首相「寝てないアピール」に私見

「有事になった時…」知事時代の睡眠時間も明かす

 

まぁ~

人それぞれなのだけども・・・

 

自身の選択でそうしている事を

自らやっているとアピールするか

他者(周り)が言うまで黙っているか

個人的には後者なのだけど

これって

立場・役割によっては

重要な事だと思うのだけどね。

 

それに、橋本氏の言う通りで

「睡眠時間0から3時間ということになれば・・・

本当に有事になった時に、ギリギリの判断をする時に・・・」

個人的な考えでアレだけども

たまにいるだよね

「普通に仕事をしている時は100%で

もしもの時は120%の力を出す」

みたいに言う人が・・・

 

疑問に思わないのかな?

普通に考えたら

全力が100%じゃん

120%ってその人の力ではなく

他力、運が入っているよね?

 

なぜ、普段から100%の力で

何かをやろうとするのか?

思うのだよ

普段から自身だけじゃなく他力を含め

100%の結果を出すように仕事をやるとしているのならば

もしもの時に限らず

自身・他力・運を含め

100%以上の結果を出す事が可能になるのでは?

 

立場・役割によっては

自分が決断しなければならないのだろうけど

特別な状況でもないのに

睡眠時間0から3時間

高市首相が

自身で全部を抱えたい人なのか?

周りを信用・信頼できないから、そうしているのか?

わからないけど・・・

 

全ての情報、説明を得ようとするのではなく

それぞれの担当大臣・官僚・・・

ある程度は、任せて

首相として必要な決断ができる為の関係性、環境に

普段からした方が良いと思うけどね。

 

これは

高市首相、個人としてどうかではなく

日本、国家として周りの国から

どう見られるかを考えれば

高市首相のやり様は悪手だと思うのだが・・・。

 

1代で終わるものじゃないのだよ。

 

組織において

個人の立場・役割に関係なく

個人が100%の力で仕事をやっているか?

個人が120%の力を出せるか?

そんなことは重要じゃないだろう

部署・部門など

それぞれ組織内の役割の中で

100%や120%の結果、仕事をする事が重要だよね。

 

佐藤二朗の楽屋訪問時の言動は

「受忍限度を超える精神的負荷」 

フジテレビが外部弁護士の評価公表

 

前にも書いたけど・・・

これって問題となる事は2つあって

 

①女性俳優に対し男性俳優が身体接触があった

②男性俳優が女性俳優の楽屋に訪問、発言

 

①に関して言えば

男性俳優は”女性俳優に身体接触の制約がある”という事を

知らされていなかった。

なので

男性俳優に非があると言うよりは

どうして、もっとも共有すべき相手に対して

知らせる事をしなかったのか??

そっちの方がね。

 

②に関して言えば

①によって男性俳優は

”女性俳優に身体接触の制約がある”という事を

知った訳で・・・普通に考えれば

それは”始める前に言ってくれ”だよね。

そりゃぁ~

女性俳優の楽屋に行って言いたくなるだろうよ。

 

個人的には

①の身体接触

②の訪問・発言

それらが、どうだったか?という問題ではなく

①によって②が起きる

予測、想像できると思うのだよ

なぜ、①が起きない様に出来なかったのか?

①が起きない様にする立場・役割は誰だったのか?

それと

①が起きたのならば

なぜ、制作側が両者の間に入って話し合う場を作り

②が起きない様に出来なかったのか?

・・・・・

結果論でしかないけどさぁ~

女性俳優、男性俳優に義務・責任が無いとは言わない

だけれども

番組の制作側にある義務・責任の方が大きい

そう思うのだが違うだろうか?

 

 

この問題は

起きない様に出来た事である。

しかも

①が起きた時に、②が起きない様にする事も出来た。

それなのに①も②も起きて

女性俳優、男性俳優、制作側

それぞれ責められる事になっているよね。

 

女性俳優が過去の出来事によって

”身体接触の制約がある”

それは悪い事では無いし

役を選ぶ必要があるとしても

俳優である事を諦めなければならない事では無い。

 

男性俳優が女性俳優に制約がある事を知らず

身体接触した事は、その状況がわからないので

まったく非が無いとは言えないのかも知れないけど

仕方が無いのでは・・・と思える。

そして

女性俳優の楽屋に行って言いたくなるのも

理解はできる。

だが

”演技の相手役に対し身体的接触に関する

一定の制約を設けるのであれば

俳優の仕事を続けるべきではなく・・・”

赤字部分の言葉はダメだね。

自己主張をするのは良いけども

①があって②の中で

これを言うのは、

男性俳優にとって、自己主張だとしても

女性俳優からすれば、押し付けられているとなるよ

理不尽な言葉

そう考える。

 

ただね

時、場によっては

その自己主張は、個性であり

俳優、役者にとっては

良い意味で”癖が強い”と受け取られる事だろう。

 

 

残念な事だよね。

女性俳優にある制約

それによって

役を選ぶ必要があっても

俳優としては許容すべき事だろう。

男性俳優の自己主張

それは

役者それぞれにある個性であり

俳優としては許容すべき事だろう。

 

やり様によっては

何の問題もなく許容できる事が

トラブルが起きて、公に問われる事になってしまい

この先

許容するには、制約が必要になるのでは・・・

 

 

考える必要がある

性善説、性悪説

どちらにしたって

社会、教育・・・環境によって

善が悪に、悪が善に

どっちにでもなるんだよ

 

それぞれ人に何かを求める、望むんじゃなく

どんな人でも善となる環境

誰もが善でいられる環境

 

これを、どのように構築するのか?

 

権力、地位、立場ある人たちには

より多くの責任があるだろう

そして

全ての人々には

それを実現する義務がある。

 

理想である

言うは易く行うは難し

わかっている

だけれども

これは、いつの日か実現する環境だと考える。

なぜならば

人々が望み、求める環境だからね。

 

他より優位であること

他から奪うこと

他を傷つけること

それらは必要なことだろうか?

なぜ、そうする必要があるのだろうか?

 

 

 

ひろゆき氏 帰国した中田敦彦への批判に

「中田氏より多額の税金を納めた者だけが石を投げなさい」

 

今の日本で

誰だろうと人に石を投げる事は許されないと思うが・・・

まぁ~

比喩なのだろうけどね。

 

日本って

”過去に中田敦彦氏より

多額の税金を日本に納めた者だけが石を投げなさい”

納税額によって、他者を批判できる/出来ない。

納税額が多ければ、下の人から批判されない。

そんな差別がある国でしたっけ???

 

私が、そう思わなかっただけで

日本は、そういう国なのかも知れないけどさぁ~

それが良い事で

この先も続ける事だと思いますか?

 

善悪

何が正しく、何が間違っているか

そういう事とは別に

公において

人それぞれ違いがある訳で

賛否あって良いものだと思うのだよ。

だけれども

誹謗中傷はダメだし

批判するにしても中身、内容が問われる。

 

中田敦彦氏に対して、批判している人たち

それに対して、ひろゆき氏の批判も同じ

その中身、内容が問われる。

 

”多額の税金を日本に納めた者だけが”

”石を投げなさい”

こんな低レベルの言い様、言葉を選んでいるのに

なんで

メディアで取り上げるのか・・・

まぁ~

メディアも同じレベルって事なのだろうけど

誰が言ったか?

という事ではなく

言葉の中身、内容を考えないのかい?

SNS、ネットの情報を

そのまま取り上げるだけじゃなく

取り上げた責任

それを記事の中で示して欲しいよね。

 

前の記事で少し書いたけども

燃料だけを供給し

それによって生じたエネルギーをどう消費するか?

消費者の責任だけでしょ

燃料を供給した側にも責任があるという事を

考えた方が良いと思うし

改善しないとダメだと思うのだけどね。