ゆたぼん、父から“圧力”かけられたと告白 | 自由かぁ~

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思ったことを書いてます。

ゆたぼん、父から“圧力”かけられたと告白「ホリエモンとメンタリストDaiGoさんに対するポスト消せ」

 

議論する事は悪いとは

思わないけども・・・

 

”社会に出ると、

仕事は楽しい時に行けばいいでは

成り立たないと言うことに気づく絶望”

だから、何なんだろう・・・

 

何が正しいか

何が間違っているか

そういう事では無い。

 

ゆたぼん(15歳)は

未成年で子供なのだよ。

”学校は楽しいから行くんだよ”

この考え方で良いと思う

 

親には

”子どもに教育を受けさせる義務”

それがある訳で

学校という教育を受ける場に

教育(授業・勉強)とは関係なく

楽しいからという理由だとしても

行ってくれるのは

義務・責任を果たしている事になる。

 

”子供は学校に行く権利はあるけど

義務はありません”

学校に行く義務はないけども

学校に行くことで義務が生じる

それは

学校の規則・ルールを守るという義務・責任

 

個人的には

権利と義務・責任は

セットなのだと考えている。

何かの権利を主張するには

何かの義務・責任を果たす必要がある。

 

例えば

全ての人には生まれた時点で人権がある。

生まれた時点では

何か義務を果たしてはいないし

果たす事もできない。

でもだよ

その時点ではないが将来

国、地域、社会、家庭・・・

義務・責任を負わされていると言えるよね。

 

 

社会に出たら絶望を感じる。

だから

学校で絶望を経験する

必要があるのだろうか?

学校で社会に出ても絶望しない為の

何かをしなければならないのだろうか?

 

考える必要がある

今の社会人、大人たちにも

子どもの頃があり、学校にも行っただろう

その頃は

社会、学校、家庭、大人たち・・・

それらを

どう見ていたのか?

どう感じていたのか?

 

社会人、大人たちは

そこで見たこと、感じたこと

間違い、理不尽などを

正したり改善する事が出来るはずである。

 

この国に生まれた

その義務・責任を果たす

それは

この国、社会をより良くする事である。

今の子どもたち

この先の子どたちが

社会人、大人になった時に

より良い国、社会にしたい

そう思える、考えらえるようにする。

 

今この国、社会にある流れは

明らかに悪い

この流れを変えられないのでは

義務・責任を果たしているとは

言えないだろう。

 

どうしたら

今の流れを変えられるのか?

その議論が必要だし

その行動をしなければならない。