Dragon'z Sky 天空海闊

Dragon'z Sky 天空海闊

やりたいことは全部やる、そしてオレはあきらめることはない。Don't wait for tomorrow amd I never give up.

 

計画的な勉強が苦手なワタクシ。

 

シゴトは計画的な実行なくして成果は出ないので、

シゴトは計画的にタイムマネジメントも割としている。

工程管理も、ダイジ。

 

しかし、ベンキョウは、工程管理が極めて不得意。

まともに結果が出たためしがない。

 

しかし、シゴトでできて、ベンキョウで出来ない理由はない。

 

そして、工程管理がないとやっぱり成果はでないので、

ベンキョウの工程管理にチャレンジするものである。

 

自分の日記ではなく、ブログで行う理由は、

自分の成長が目に見えること、

手元のノートやソフトだと、消えちゃうし、

誰かの何かの役にたつことも世の中ではあるので、

 

恥をさらしてやってみようと、そういうことであります。

 

 

今年ももう3月になる。

このままでは、また忙しさに埋もれて1年が終わる。

 

記録をすることは、冷静さと落ち着きを取り戻せる気がするので

毎日、ブログを記録してみようと思う。

 

忙しさに埋没せず、やっぱり人生を楽しみたい。

 

さて、今年はとにかく勉強しまくる一年でありたい。

 

ほとんど勉強記録になると思います。

 

多動性・発達・ADHDについて研究を深めていきたい。

 

いわゆる「知恵熱」といわれるものがある。

 

これは、一般的に幼少期に生じるものらしい。

 

しかし、自分はオトナになってからもよく熱を出す。

出す、というより、熱が高いことが多い。

 

知恵を使う、脳を使うと起きやすい。

 

しかし、これには「興奮作用」があると感じており、

なにかしら、自分の中で興奮している状態が起きているという。

 

興奮する→熱が上がる→疲弊する

 

という。

 

落ち着いて、冷静に、集中する。

 

このサイクルにもっていくと、生産性がぐっと上がるので

そうありたい、そういう習慣を見出したい、と思っている。

 

要するに、

短距離ランナーから、長距離ランナーへ転向するかんじですね。

 

一日24時間を良いペース、良いコンディションで走り抜けたい。

そういうことです。

 

まず、落ち着く。

とにかく、落ち着いて、ゆっくりいそげで。

落ち着きの中での静かな集中力。

そして、その集中力のペースを維持する。

 

 

 

I would like to deepen my research on hyperactivity, development and ADHD.
There is what is known as "wisdom fever".
This seems to generally occur in childhood.

However, I often have a fever even after becoming an adult.
It is not so much that I have a fever, but rather that I often have a high fever.
It tends to occur when I use my wits or brain.

However, I feel that this has an "excitatory effect" and
I feel that there is an "excitatory effect" in this, and that somehow a state of excitement is occurring inside me.

Excitement → heat up → exhaustion
This is called "excitement".

Calm down, stay calm, and concentrate.

When you get into this cycle, you will be much more productive.
I want to be like that, and I want to find such a habit.

In short
I want to change from being a short-distance runner to a long-distance runner.
I want to run 24 hours a day at a good pace and in good condition.
 

That's what I mean.
First of all, I need to calm down.
Anyway, calm down and hurry slowly.
Quiet concentration in calmness.
And then maintain the pace of that concentration.
 

 

 

Know thyself 

 

それはいいとして・・・

 

私は、やりたいことだらけで、ギュウギュウに詰め込んで、

煮込んで・・・・・ぐつぐつと・・・

 

自ら多忙をつくりだし、自分を締め付け、それを打破しようともがき、

という

 

よくわからん自分縛りで生きていたように思う。

 

度々思い出すのは、

 

勤務時代、同期にいわれた一言だ。

 

「あなたは多忙多忙というけれども、自分で忙しくしてるんじゃない?」 

 

ごもっとも!

おっしゃる通りです。

 

今の時代でいう、ADHDなんだろう。

 

多動なんだろう。

 

なんか色々やっているのが楽しいし、

あくせくしているのが面白いというか、

色々意識が飛んでいくというか、

 

まあ、他動力という本がベストセラーになっているくらいなので、

世の多くの人も似たようなものなんだと思う。

 

たださ、同時に思い出す言葉があるんだよね。

 

それは、

 

「なんか一つの専門性を深める」

「その一つの専門性を深めると、見えてくる世界がある」

「その世界をみる手法は、何だってよい」

 

ある大学院教員にかけられたアドバイスだ。

元来、政策科学を深めたかった自分に対し、かけてくれた言葉だ。

 

政策論を研究するに対し、何をどう分析・アプローチするかは、

その人の専門性による、と。

 

その専門性はなんだっていい。

 

ただ、

まずは、1つのことを専門を持つということからだ、と。

 

これはもう、本当にそうだと思う。

 

井の中の蛙大海を知らず

されど空の深さを知る

 

という言葉がある。

 

この広大な銀河の中で、1つの専門性なぞ星の1つにすぎない。

しかし、その1つの星を深めると、銀河を知ることにつながるのだ。

 

最初から銀河すべてを知ろうとするのは・・・

 

まあ、ワタシ自身はそれをやってみたのだけどね。

すべてを知ろうと、全体から入った。

しかし、色々なものがありすぎて、とんでもなくいっぱいあって、

消化しきれない。

追いつけない。

 

こりゃ100年生きても多分、全然足りない。

 

しかし・・・!

 

人間って、すごい良いものがあって、

1を聞いて、10を知るという。

 

10ぜーんぶを知ろうとすると、とんでもなく大変なんだけど・・!

正直、全体をぜーんぶ知りたいというのは、「完璧主義」の源泉なんすよね。

 

完璧主義に入るとさ、神経質になるんすよね。

コレがあかんのですわ。

 

結果的に、身動きがとれなくなるわけです。

 

がんじがらめの、自縛。

 

動けないすよ。

 

で、重要なのは、1を聞いて10を知るということ。

 

1を知っていれば、2・3・4・・・・と10まで行けるんだよね。

これってホントにすごい発明だと思う。

 

てか、発明家ってのは、そうやって発明しているんだと思うけれども。

 

だから、1個。1個を究めれば良いんです。

 

じゃあ、自分はその1個を何にすんべかなあ、と。

んー、と。

 

なかなか絞れずにいたわけで、10を追うパーペキ主義のアホウになりがちで。

  

なんか1個をといわれれば、

やっぱ、宗教哲学なんかな。いわゆるスピリチュアルですよね。

魂の哲学ですよ。

 

いわゆる、「答えのない領域」

 

創造的な領域、発明していく領域、と

 

「答えのある」領域。

 

正確には、常に世界は進化していくので、

すべてが創造的で、答えはないっちゃないのですが。

 

カタチが明確なものと、明確でないもの、

魂的なものと、物理的なもの、

 

そんな感じよね。

 

 

 

 

(*・ω・)/Hi~♪

 

自分を知る、ということの深さ。

 

子供の頃から、

「子曰 吾十有五而志乎学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲不踰矩」

 

という、孔子の言葉を指針にしてきたけれども、

 

40にして惑わず。

 

50にして、天命を知り、

 

という。

 

すべては、「己を知る」という旅なんだけれども、

とにかく人生の旅は深く、広く、まるで銀河のようだ。

 

 

ん?まるで、ではないか。

だって、銀河の中に生きているのだから。

 

自分自身も、一つの星のようなもの。

無数の銀河の中の1つとして生きている。

 

広く、深く、儚くも、意外にタフでまるで永遠かのように生きている。

 

しかし、宇宙にも寿命はある。

それは、生きているということの証でもある。

 

太陽をみていると、心が洗われる。

 

信仰なんて太陽を眺めて、銀河と向き合っていれば事足りる。

モノに金出す必要なんてない。

 

ゼッタイに人間が造り出せない、とんでもない力学はすぐ目の前にあるからね。

 

その力学は、生命を生み出し育んでいる。

 

そして、とんでもない力学は、互いに絶妙なバランス(調和)で成り立っている。

 

これ以上の神秘も、尊敬もありゃしないっしょ。

 

そして、身も心も洗われる。

自分が何者なのかをさとしてくれる。

 

余計なコトを考えずとも、上手くいくことを教えてくれる。

 

生きてるだけで丸儲け、とは上手いこと言うもんだと思う。

 

ゼッタイ、大丈夫。

 

だって、陽は必ず登り、

 

孤独で寂しかろう夜でも、

銀河は汝自身を見守っている。

 

絶望の暗闇の世界は、この世には存在していないのだから。

 

そして、星は言う。

 

この世は可能性に満ちあふれると共に、

だからこそ人は迷うのだろう、と。

 

ならば、Do IT!

 

やりたいことは、すべてやる。

 

ただ、すればよい。

 

故稲盛和夫先生は、「謙虚さ」を常に大切にしていたという。

 

謙虚さはガマンすることではなく、

ひたむきにやりたいことを探求していれば、自然に発するものだと思う。

 

やりたいことに挑戦し続けていれば、

自ずと、ひとは謙虚になるものだ。

 

なぜなら、オゴりや無駄な力みはやりたいことの足を引っ張る。

見誤る。

ゆえに、謙虚さは自然にまとえるもの。

 

傲慢な自分、自堕落な自分が存在しているとしたら、

それは、ひたむきな努力が出来なくなっているので、

そこで己を知ることができる。

 

Know thyself

 

己を知る生き方は、宇宙に生きることである。

 

(*・ω・)/グッバイ