上田淳の近況報告 -3ページ目

鎖骨骨折第四弾術後経過は

画像付で投稿しようとしたら、またしても本文がキャンセルされ大ショックしょぼん再度チャレンジしますグッド!昨日はかなりアクセスしてもらったみたいで、また明日お届けする予定の年賀状にもブログ開設のお知らせ載せたので責任重大!!
12月18日に全身麻酔で受けた鎖骨骨折の手術は無事終了して、さすがにその日は病棟の特別室にお泊まりしましたが、翌日からは毎日外泊してます。26日には全抜糸してもらいました。「痛いショック!死ぬ!!」と大騒ぎしていたら、看護師さん達から「バカじゃない!?」と大笑いされましたガーン
看護師さん達には、入院当初から私の不幸な身の上を笑い飛ばしていただき、深く感謝してますm(__)m
三角巾固定も外し、休む事無くお仕事も続けあせる外来ではヤクザ屋さんの襲来を何とかかわし、無事仕事納めチョキ
車の長距離運転も可能となり、昨日から実家に帰省車DASH!食っちゃ寝るぐぅぐぅメタボ生活に突入しましたお酒
取り敢えず画像つけるのは失敗しそうで怖いので、次回に回しますガーンまた見て下さいパー

→その後、何とか成功チョキ
カメラは鎖骨骨折報告の第一弾に載せましたニコニコ見てねひらめき電球

鎖骨骨折第三報告

何度もすいまめーんしょぼん画像と文章が上手くリンク出来ずに悩んでますダウン
骨折はかなり第三骨片が大きく、斜めの骨折でもあり、長めのプレート固定になりましたガーン
人に手術の傷見せたら長くてビックリされますw(°0°)w


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平成20年12月、左鎖骨骨折




 年の瀬も押し迫ってきた12月14日の日曜日の朝、この一年間、不幸が次々と押し寄せるマイナススパイラルに陥っていた私にさらなる大きな不幸が訪れました。


 その日は病院の日当直になっていたため、交代の時間が迫っていたこともあり、私は自宅マンションから、天気も良かったので購入したばかりの自転車にて勤務先へと出かけたのでした。小高い山の上から細い坂を下りようとしたとき、前方に歩行者あり。避けようとして私の自転車は側溝の上を覆っているコンクリートの蓋の上を走行。元の道に戻ろうとしたその時、数センチの段差にタイアが引っかかり自転車は激しく横転し、私の体はやや吹っ飛びながら左下に転倒!!


 40歳台後半とはいえ、運動神経にはかなりの自信があり、毎日のスポーツジムでのswimmingで鍛え、ママチャリ通勤でも走行スピードではほぼ負け知らずの私がこんなことになるなんて!やっぱ反射神経も年齢相応に衰えてきてるんだ、、、


 肩から落ちた瞬間、痛みと変な音?とショックと衝撃がほぼ同時に襲ってきました!大学生時代、ラグビーで二回、鎖骨を骨折している私は、また鎖骨を骨折してしまったと、すぐさま悟りました。しかも私は整形外科の医者、専門領域を身をもって再体験、誤診の恐れは0%でした。


 歩行者の男性からは「大丈夫ですか?」と心配して聞かれましたが、力なく「大丈夫です、、}と答えるしかありませんでした。


 増してくる痛みと虚脱状況を堪えながら、何とか近くの自宅まで戻り、車に乗り換え出勤、レントゲン撮りますと、やや大きな第三骨片を有する少し遠位部の骨折でした。


 翌日からは自分の病院に入院、でも私の担当する外来には年末進行もあり予約枠がほぼ埋まっている盛況、毎日休む事無く仕事に出るありさま、、、


 受傷から四日後の18日、私が執刀する予定だった手術を延期にしてもらい、そこに私の鎖骨骨接合手術(鎖骨プレートにて)をいれてもらいました。もちろん私が自分で執刀するわけにもいかず、後輩にしてもらいました。学生時代の反対側の鎖骨骨折の際は、頚椎部硬膜外麻酔(今から考えるとマジで恐ろしい、、、)でしたが、今回は生まれて初めての全身麻酔。バルーンカテーテルを入れる導尿は、当初、美人のナースからプレイを兼ねて?してもらうプランもありましたが、何とか固辞、パンツを脱がないままでやり過ごしました。弱みを握られると、後々の仕事にも響くしね、、、全身麻酔はラリンギアルtube使用で、気管内挿管しなかったので、手術後も楽でした。お陰で翌日の午前中も外来の仕事させられました。決して仕事好きじゃないのに、チョイ辛かったです。


 あれから一週間、今日、25日は何とか腰椎の手術の執刀も出来、痛みもかなり減ってます。ほぼ毎日外泊してますが、一応まだ入院中。病院食を頂いてますが、運動不足でメタボの悪化が心配。


 骨折の画像をアップするつもりでしたが、デジカメの写真は容量が大きすぎ、拒否されました。後日、写メで撮って載せるつもりです。


 この不幸続き、多分年末ジャンボ宝くじが大当たりするしかつりあうすべはない、と確信してます!


 それでは皆様、良いお年を。&メリークリスマス。


 



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平成15年同門会誌近況報告「優勝、解任そして笑顔」

近況報告(病院だより)および当院の特徴(?)

済生会大牟田病院         上田 淳

「優勝、解任そして笑顔」

当院では相変らず整形外科医不足が続いています。整形外科より患者数が少ない他科に四~五人目の新しい医者が来たりするとせつなさがこみ上げるこの頃です。それでも、五月まで当科で勤務していた美人???女医のN先生は、性格にやや難ありとの噂で(私は決してそうは思いませんが)、恐怖におののく看護婦さんもいた様ですが、異性とのおつき合いもかなり少なめで(上手く行かなかった?)、その分仕事に打込んで頂き、外来患者様には「上田先生にかかると治るもんも治らん」と宣伝してもらい、私の患者数を減らす努力をなされ、大変頭の下がる日々でした。

それにひきかえ六月から赴任のK先生はラグビー国体予選佐賀県代表選手(リザーブ?)でもあり、仕事そっちのけで、てっきりプロ化選手か契約社員を思わせるラグビーでの活躍でした。かつK先生は佐賀医大ラグビー部では麻原ショウコウのような存在の監督らしく、数多くいる女子マネージャーは彼の一言でどんな事でもするそうです。お陰でクラブとかランパブ(私は決して好きでない)に連れて行っても、以前当院に赴任していたT山先生やT中先生みたいに喜ばれずちょっとがっかりでした。ちなみに佐賀医大ラグビー部はK監督の指導の賜物か?今夏の西医体では部員数がギリギリなのに優勝しました!その分、医療や医学には興味は全く示されず、たまに放っとくと殆どの治療がなされず、「ここはホスピスか?」状態になる事も有りました。お陰で私の外来は診察待ち時間3時間、診断書1ヶ月待ちの盛況で、苦情の嵐が吹き荒れています。しかし最近は、ラグビー選手&監督業務も一段落したためか、かなり真面目に仕事にも取り組んでくれています。

保険点数に反映されるようになるかもとの噂で全国で大流行中の病院機能評価を、当院でも来年の五月に受けるようになり、現在ありとあらゆる分野での会議・委員会が発足し、ほぼ毎日のように開催されています(ほとんど出ていませんが)。昨年、褥創管理委員会委員長に就任しましたが、日々の診療が忙しく、構成メンバーも婦長連中が中心で、欠席を続けてたら遂にクビになりました。嬉しい悲鳴を上げる間も無く、今度は接遇(スマイル)委員会の委員長にされ、構成メンバーの看護婦・スタッフの年齢が褥創委員会より若く多少のスマイルが出ました。「心の鍵を開くのは温かい言葉と優しさで」「あなたの笑顔で相手の心が癒される」なんて変な標語を選んだりして、いつもの引き笑いで頑張っています。

P.S. 来年こそ阪神タイガースが日本一になりますように!(ちなみに当院は医局長と副医局長(私)が阪神ファンで実権を握り、悪たれ腐れ巨人ファンの院長を片隅に追いやっています)そして世界中の人々に笑顔と挨拶を!

当科のベッド数;約38床

一ヶ月の外来の再来患者数(平成15年5月);3674人

一ヶ月の外来の新患数;約170人

平成14年?同門会誌「カリスマ?整形外科部長に迫り

近況報告(病院だより)



済生会大牟田病院         上田 淳


「カリスマ?整形外科部長に迫り来る多発性筋断裂症と院内暴力」



当院では相変わらず多忙な毎日が続いています。と言うのも当院のメインの内科、胃腸科、外科と比べ同程度もしくはそれ以上の入院、外来患者数をこなしているのに医者の数が半分以下しかいないのが最大の理由です。院長や事務からは何時でも整形外科医増員OKと言われているのですが、、、年間手術症例数が200を超えたら三人目を派遣してもらえるとの裏情報を信じ、6月以降は月当たり1520例と、かなり無理してこなして参りました。しかし先日、佐賀医大整形外科の権力を一手に集め我が世の春を謳歌されてると噂の(仮称)東山医局長に「出せる人(医局員)全然いません」と冷たく言い放たれ、「やっぱこれからは貢ぎ物か」とスネだしてます。そんな私は仕事をする気も無くしつつあり、患者さんへの露出を極力抑える作戦に出、入院患者さんには出来る事なら週一回の総回診日しか逢わないようにしたところ、かえって中年以上の女性患者さんから人気が出てしまい、『カリスマドクター』との称号を貰ってしまいました。


そんな私に成り代わり当院の整形外科を支えているのは、来年からメジャーリーグへ挑戦する事になった松井秀喜選手の嫁の座をついに諦めたらしい、春のキャンプが出身地であることでしか繋がりを持てなかった宮崎弁丸出しの(仮称)短谷里美先生です。最近失恋からか髪の毛を切り、松井のせいか私の不労が原因か分りませんが5kgも体重が減り、美しさに磨きをかけ、齢はミソの路に入ったにもかかわらず、『寿』を夢見る乙女?のままで彼氏募集中です!何とか佛淵教授の人工関節の適応年令になる前に、あまり症例を選ばずに嫁に行って欲しいものです。


そんな可憐な短谷先生ですが、以前赴任していた某病院ではヤクザの親分より恐いかもと評判の院長先生と大喧嘩を繰広げたらしく、当院では院長となるべく遭わせないよう配慮しており、着任後半年になりますが今だ辞令を貰わないまま、モグリで就労してもらっています。しかし最近は彼女の怒りの鉾先が私の方に向きつつあるみたいで、病院の裏に呼び出されて締め上げられる日が来るのではないかとビクビクしながら、短谷先生と顔を合わせない様、時差をつけ少し遅めに出勤しております。今のとこ身体的暴力は受けていません。


暴力の犠牲にはなっておりませんが、私の体はボロボロになりつつあるようです。先ずは5月、九州地区済生会病院対抗ソフトボール大会にて、ショートの後ろに上がった飛球をセンターからメジャーリーグのイチロー顔負けのスーパーダイビング&回転キャッチをしたところ、両側の大腿内転筋断裂を受傷。さらに10月には、病棟詰所で机の奥の文具を取ろうとつま先立ちをした際、左下腿後部に何かが落ちて来た軽い衝撃を感じ、一瞬、昨年の同門会誌でその危険性を報告した私に向けてのビン・ラディンのテロ攻撃か、或いは北朝鮮からのテポドンミサイルかと錯覚致しました。実は下腿三頭筋の筋腱移行部皮下部分断裂でした。11月にはさしたる誘因も無く上腕二頭筋遠位部も少しおかしくなって来ております。昨年、社会保険S病院の(仮称)外頭先生がアキレス腱断裂を受傷された時には、「以前足の捻挫の時、忽那先生からあてて貰ったシーネをたった1日で勝手に外した罰が当ったのでは」と噂しておりましたが、全く人事では無くなりました。先日、高円宮殿下が御逝去された際には、看護婦さん達から、「先生も四十代だからもうスポーツ禁止」とたしなめられました。


そんな悲惨な私ですが、医長から部長に昇進?、事務からは「給料は増えこそすれ、減る事はありません」と言われていたものの、案の定、ありとあらゆる手当てが無くなり、昨今のデフレスパイラルの影響か医者四年目の短谷先生と同じ程度に減ってしまいました。これってリストラ?しかも、やりたくもない褥創管理委員長までやらされ、苦悩の日々が続いています。しかし来る新春1月にはメジャーに挑戦、アメリカへ渡る予定にしております。スキーにするかスノボにするか悩んでいるとこです。怪我しないようにしよおーっと。