ラオス、タイから帰国。
成田空港でプロ野球ストライキ突入を知る。
2週間ぶりの東京、日本。

旅の終わりはいつも寂しい。
いくつかの旅を終え、その事は身をもって知った。
旅という入れ物をめいっぱいに満たして、帰る事などできないから。
だからこそ、旅の日々を懐かしく思い出し、また旅に出るのかもしれない。

少し、今回は事情が違った。
彼女との最後の旅だったから。
この旅の終わりは、いよいよ彼女の家を出ていく事を意味した。
彼女に「21日に大阪に帰るよ」と告げた。
足の指先が震えていた。
でも前に進む為に、この足を無理矢理にでも前に出さなければいけない。
今日震えた足で印した一歩目を無駄にしない為に、
今の自分にはやるべき事がたくさんある。

ラオス、タイから帰国。
成田空港でプロ野球ストライキ突入を知る。
2週間ぶりの東京、日本。

旅の終わりはいつも寂しい。
いくつかの旅を終え、その事は身をもって知った。
旅という入れ物をめいっぱいに満たして、帰る事などできないから。
だからこそ、旅の日々を懐かしく思い出し、また旅に出るのかもしれない。

少し、今回は事情が違った。
彼女との最後の旅だったから。
この旅の終わりは、いよいよ彼女の家を出ていく事を意味した。
彼女に「21日に大阪に帰るよ」と告げた。
足の指先が震えていた。
でも前に進む為に、この足を無理矢理にでも前に出さなければいけない。
今日震えた足で印した一歩目を無駄にしない為に、
今の自分にはやるべき事がたくさんある。

山谷のチャンピョンが死んだ。
浅草の酒屋、『松よし』の大ばあちゃんがそう教えてくれた。
三月の、18日だったらしい。
仲間と酒を飲んでいて突然いすからひっくり落ちた。
空を仰ぎ見ながら、すでにチャンの心臓はパンクしていた。
火葬場で焼かれ、骨は故郷である九州に持ち帰られ、無縁仏にはならなかった。
「ましな死に方だったんじゃない?そう思うね私は」
大ばあちゃんがたっぷりの腹の肉を揺すりながらそう言う。
「一杯飲んでく?」
夏の昼下がり、冷たいビールが喉を通って何処かへ沁みてゆく。

チャンピョンの紹介状を持って僕が初めてここを訪れたあの冬。
常連客の持ちよる、悲しい、為すスベない、取り戻せない話のオンザロック。
ぼろぼろの歯でおでんを噛み切りながら、ぼろぼろに許しを乞うじいさん。
でも許してあげられる人間はここにはいない、僕のせめてもの精一杯は尿意の我慢。
人と人とはこんなにもただ遠く。
肯きながら、僕に煙草が吸えたなら、そう思った。
吐き出された人生は煙とともに小屋に満ち、霧散してゆく。
誰かが吸い込み、あるいは吐き出し、肺や気道も汚してゆけば、
今夜くらいは過ぐるだろうか。
大ばあがもう飲むなと僕からジョッキを取り上げた。
浅草駅前のストリップ劇場、ロック座の支配人に会いに行く手筈だったから。
べろべろになって『役者志望です』なんて会いに行ったらバカたれだと。

今は太陽が頭上高く。
死ぬ直前のチャンの写真を見せてもらった。
チャンらしい写真だなと嬉しくなる。
泪橋の交差点、セブンイレブン前のガードレールにまたがりチューハイを手にはにかんでいる。
記憶の中のチャンよりも少し肥えていて安心した。

チャンは若い子が好きだったらしい。
甥っ子が一人いてよくかわいがった。
成人して携帯電話を持つようになったが、番号は教えてもらえなかった。
山谷で若い子を拾っては、ボクシングを教えた。
プロボクサー、世界チャンピオン。
山谷のチャンピョンの、自身は4回戦で終わったチャンの夢。

チャンの本名を初めて知った。
大ばあ宛の獄中からの手紙によって。
でも記憶から消去した。なんだか暴くみたいで。
僕はチャンと呼べばそれでいい。

浅草から、吉原を通り抜けて山谷へ。
チャンが、『この骨を埋ずめる』そう言った街。
路上での宴会、腐臭、焚き火禁止の看板。
12色の色鉛筆じゃ出せないような、灰色にくすんだ街。
チャンのブルーテントがあった教会脇には赤茶けたくず鉄が高く積まれていた。
泪橋で、泥酔したおばさんに「今パンツ見たでしょ」ときゃあきゃあ騒がれる。
『骨をな、埋ずめる、この事がお前に分かるか?』
小便だとか汗だとか、血でも涙でも。
この街の深くに沁みてやがて『骨』と化したもの。

ふと、チャンの膝を思った。
あの右膝は焼かれて、どんな骨を残したろう。
いいか目をそらすな、そう言ってチャンはズボンをまくった。
膝小僧が変形し、それが突起したグロテスクなチャンの膝。
まだ二歳の時、兄に階段から突き落とされたのだという。
その右膝のせいで、チャンピョンはチャンピオンになれなかった。

チャンが恨み続けた、朝起きる度に苦々しくトントンと叩いた、あの右膝。
いったいあれは、焼かれてどんな骨を残しただろう。

優しいなんて言ったら、また怒鳴られそうです。
でも、酒を飲んでは笑い千円札を放り投げるあなたはとっても優しかった。
また会いに来ます。
あなたが骨を埋めた、この街に。

事務所へ。
村瀬純平の今後について話をする。
これについては改めて、きっちりと報告します。
あまり日を置かずに、アップするつもりです。

神田恵介、ZIPPER9月号の表紙を飾る。
大塚愛着用の、黒いワンピースがそれです。
ケースケ、おめでとう!
なんか嬉しかったよ。
やっぱり嬉しかった。
ちょっと焦るよ、けどそれでも、嬉しいです。

※神田恵介
服飾ブランドCandy rock(=keisuke kanda)主宰。
大学時代からの友人です。

私、村瀬純平は、しばらくの間、俳優業を休業することになりました。
なにぶん突然で、それは申し訳ありません。

僕の中で長く、僕と俳優は一本の糸でつながっていました。
僕の人生と表現の手段としての演技が、ということです。
一個の人間として、どう生きるか、どういう人間でありたいのか、確固としてありました。
その高みに上る為の確実な階段、一番の近道が僕にとって「俳優」でした。
一生幸せになれないと思っていました。でも役に入る事でたとえ一瞬でも幸せになれるのです。
一生人を、愛す事はないだろうと思っていました。しかし役になりきる事で誰かを愛せるのです。
我を忘れる事なんて僕にはないと思っていました、しかし本当に夢中にならないと演じる事はできません。

いつ頃からだったのか、不可分だったはずのふたつに隙間が生まれました。
貧しい自己規定から逃れ得たと言えるのでしょうか、幸せになれるかも、人を愛せるかも、そうなれるよう努力しようと思うようになりました。
何が近道で、何が回り道なのかよくわからなくなりました。
俳優以外の事にたくさん興味が湧きました。
普通の仕事もしてみたいと思い始めました。
海外にも行ってみたいとそわそわしました。
色々な方に言われました。
「変わった」「卑怯だ」「目に力がなくなった」「普通になった」「芝居の話をしなくなったね」

俳優の生活は不自由な事が多いです。
いつオーディションが入るのか分からないのでちゃんとした仕事はできません、
経済的にも恵まれているとは言えませんし、長い旅行なども無理です。
俳優の為の我慢我慢、が増えて積もって、溶けて流れてゆきました。
もっと楽に、メやりたい事をやるモという気持ちと、メ俳優モが秤で釣り合うように、そしていつのまにか、それは一方に傾いていきました。

舞台が終わってから俳優の師匠、事務所の方と話合いを重ねました。
そして2004年7月23日、冒頭の結論に至りました。

直接ご挨拶に伺えなかった俳優、スタッフの方々、
応援して下さった方々、気にかけて下さった方々、
テレビを見て下さった視聴者の方、ホームページをのぞいて下さった方々、
どうもありがとうございました。

長い長い言い訳のような気もします。
「お前本当には、俳優を好きじゃなかったんだよ」
「好きでも、それはその程度の好きだったんだよ」
その一言で尽きてしまう、そうなのかもしれません。
ただ、僕の中ではまだ結論が出ていません。
もう少し考えさせて欲しいというのが正直な気持ちです。

俳優をしながら、長い長い手紙を書いていたような気がします。
ある時は家族に向けてであったり、友人、同級生、故人、
またある時は好きな人への、長い長い手紙。
俳優でなくなっても、そんな手紙達を書き続けるだろうと思います。
それはこのホームページであったり、なにかの脚本であったり。
それらの手紙達がいつか、思う誰かに届く事を祈って。

パソコンがウィルス感染。
うう…初めてです。
トレンドマイクロのオンラインスキャンで調べたところ、145ファイルの感染が確認され…
該当ファイルを全てゴミ箱へ、書き加えられていたレジストリも削除しました。

これで、駆除完了のはず。
そして再び、ウィルススキャン。
これで感染ファイルゼロだろうと祈るように画面に食い入る。
検査済みファイル数が10000を突破、まだ感染ファイルはゼロだ。よし。

薄気味悪いと同時に、それよりも徒労感。

コンピュータウィルスの傾向が変わりつつあるらしい。
単に誰かを困らせたい、自分の力量を誇示する、といった自己満足的なものから
利益追求型、ウィルスにより情報を引き出す(個人情報、クレジット番号など)へのシフト。
武器や舞台は進化し、理解も想像でさえ不可能な領域に入っている、
けれども、その源泉たる人間の欲望は、想像も理解も難しくない、昔ながらの動機に思える。
それが悲しくもあり、でもやっぱり救いなのだと、そう思った頃、スキャン終了。
感染ファイル、ゼロ。

9.5℃を記録したその日、京王新宿駅の通路でポスターを見かける。



「瑛九…」
なんだか聞いた事のある画家だなと思っていると、そういえば…
3年ほど前、父親が「瑛九賞」というのを貰って喜んでいたのを思い出した。
「へぇー」と感心しながら携帯カメラで撮影。

今更ながらお父さん、おめでとうございます。
由緒のある賞だったんですね、瑛九賞って。
その節はおそらく気のない言葉しかかけていないと思いますので…改めて…おめでとう。

地下鉄とバスを乗り継いで、「谺、来る」の殺陣師の先生宅へ。
先生が「九州に帰る事になったから」と聞いた。
仕事を続けていくのは、現実的に難しくなるようだ。
正直びっくりした。
立ち回りの、役者の『カタマリ』みたいな人だったから。
色々な事を、とても感謝しています。
ありがとうございました。

引越しの日。
2年と2ヶ月をこの部屋で過ごした。



郵便受けの名札を外そうとして、
2年前の僕が「Jumpei Murase」と書き入れたあの時の気持ちを思い出した。

 

電車とバスを乗り継いで、サマーランドに行く。
波のプール、流れるプール、すべり台、温泉、ポテトチップス。
夏は日が長いはずなのに、気忙しい。
ロスタイムが長いだけで、45分ハーフはそのまま、みたいな。

きょうはサマーランドにきました。
そしてたっぷりたっぷりおよいだのです。