山谷のチャンピョンが死んだ。
浅草の酒屋、『松よし』の大ばあちゃんがそう教えてくれた。
三月の、18日だったらしい。
仲間と酒を飲んでいて突然いすからひっくり落ちた。
空を仰ぎ見ながら、すでにチャンの心臓はパンクしていた。
火葬場で焼かれ、骨は故郷である九州に持ち帰られ、無縁仏にはならなかった。
「ましな死に方だったんじゃない?そう思うね私は」
大ばあちゃんがたっぷりの腹の肉を揺すりながらそう言う。
「一杯飲んでく?」
夏の昼下がり、冷たいビールが喉を通って何処かへ沁みてゆく。

チャンピョンの紹介状を持って僕が初めてここを訪れたあの冬。
常連客の持ちよる、悲しい、為すスベない、取り戻せない話のオンザロック。
ぼろぼろの歯でおでんを噛み切りながら、ぼろぼろに許しを乞うじいさん。
でも許してあげられる人間はここにはいない、僕のせめてもの精一杯は尿意の我慢。
人と人とはこんなにもただ遠く。
肯きながら、僕に煙草が吸えたなら、そう思った。
吐き出された人生は煙とともに小屋に満ち、霧散してゆく。
誰かが吸い込み、あるいは吐き出し、肺や気道も汚してゆけば、
今夜くらいは過ぐるだろうか。
大ばあがもう飲むなと僕からジョッキを取り上げた。
浅草駅前のストリップ劇場、ロック座の支配人に会いに行く手筈だったから。
べろべろになって『役者志望です』なんて会いに行ったらバカたれだと。

今は太陽が頭上高く。
死ぬ直前のチャンの写真を見せてもらった。
チャンらしい写真だなと嬉しくなる。
泪橋の交差点、セブンイレブン前のガードレールにまたがりチューハイを手にはにかんでいる。
記憶の中のチャンよりも少し肥えていて安心した。

チャンは若い子が好きだったらしい。
甥っ子が一人いてよくかわいがった。
成人して携帯電話を持つようになったが、番号は教えてもらえなかった。
山谷で若い子を拾っては、ボクシングを教えた。
プロボクサー、世界チャンピオン。
山谷のチャンピョンの、自身は4回戦で終わったチャンの夢。

チャンの本名を初めて知った。
大ばあ宛の獄中からの手紙によって。
でも記憶から消去した。なんだか暴くみたいで。
僕はチャンと呼べばそれでいい。

浅草から、吉原を通り抜けて山谷へ。
チャンが、『この骨を埋ずめる』そう言った街。
路上での宴会、腐臭、焚き火禁止の看板。
12色の色鉛筆じゃ出せないような、灰色にくすんだ街。
チャンのブルーテントがあった教会脇には赤茶けたくず鉄が高く積まれていた。
泪橋で、泥酔したおばさんに「今パンツ見たでしょ」ときゃあきゃあ騒がれる。
『骨をな、埋ずめる、この事がお前に分かるか?』
小便だとか汗だとか、血でも涙でも。
この街の深くに沁みてやがて『骨』と化したもの。

ふと、チャンの膝を思った。
あの右膝は焼かれて、どんな骨を残したろう。
いいか目をそらすな、そう言ってチャンはズボンをまくった。
膝小僧が変形し、それが突起したグロテスクなチャンの膝。
まだ二歳の時、兄に階段から突き落とされたのだという。
その右膝のせいで、チャンピョンはチャンピオンになれなかった。

チャンが恨み続けた、朝起きる度に苦々しくトントンと叩いた、あの右膝。
いったいあれは、焼かれてどんな骨を残しただろう。

優しいなんて言ったら、また怒鳴られそうです。
でも、酒を飲んでは笑い千円札を放り投げるあなたはとっても優しかった。
また会いに来ます。
あなたが骨を埋めた、この街に。