トラック荷台に乗って、いよいよ念願の札達へ。
かなりの悪路と聞いていたが、想像以上、、、
トラックの荷台、もちろん揺れに揺れる。
しかし自分でも驚いたのだが、あの砂埃、態勢、揺れの中でも僕は寝ていたこと。前日ほとんど眠れなかったとはいえ。最後はスペアのタイヤにすっぽり入って、熟睡していた。
朝9時半出発で、18時頃到着。
札達の町は、町の中に林のある、とても居心地のいい町だった。
トラック荷台に乗って、いよいよ念願の札達へ。
かなりの悪路と聞いていたが、想像以上、、、
トラックの荷台、もちろん揺れに揺れる。
しかし自分でも驚いたのだが、あの砂埃、態勢、揺れの中でも僕は寝ていたこと。前日ほとんど眠れなかったとはいえ。最後はスペアのタイヤにすっぽり入って、熟睡していた。
朝9時半出発で、18時頃到着。
札達の町は、町の中に林のある、とても居心地のいい町だった。
ティルタブリにて、再会を果たす。
カイラス山をコルラ中に会った、日本人4人組のパーティーがティルタブリにいたのだ。こういう再会は嬉しい。テントを隣に張らせてもらい、また会いましたねぇ、と。
カイラスで会った時に今後の予定を聞いていたのだが、ティルタブリの後は確か、、、グゲ遺跡に行かれるとの事だった。聞いてみるとやはり明日、ツァンダ(札達)、グゲ遺跡に行くと言う。
これは、、、
札達行きの「バス」は全くあてにならないので郵便局の車をヒッチしようと、その為だけに出発の曜日に合わせてアリまで戻ろうと思っていたのだ。日本人4人とガイドさんやコックさんまで帯同してのパーティだったので、乗るスペースがないかと思ったがダメもとでお願いしてみる。すると「トラックの荷台なら」との答え。充分です、トラックの荷台で。
ラッキーすぎる。本当にラッキーすぎる。もちろん無料で。お金の話なんかなく、逆に日本の食材を頂いて、さらには昼食まで招んでいただいて。
本当にラッキーな、奇跡的な(ちょっと狙っていたが)再会だった。
テントを張る、あるいは畳む時に、一番厄介なのは風。
本当に腹が立ってくる。風に翻弄されて、テントが広がらない、おさまらない、どこかに飛んで行く、一人で設営するのは本当に大変な仕事。
はっきり言って、風は嫌い。静かにしてほしい。

しかしチベットでは、ティルタブリでは特に、風は特別。
ティルタブリにはおびただしい数のタルチョが川にかかっている。タルチョというのは五色の旗の事。青、白、赤、黄、緑でそれぞれ「空、風、火、地、水」を表している。一つ一つの旗には、チベット仏教のお経が印刷されていて、風にタルチョがたなびく度に、仏教の尊い教えが風に乗って広まって行くそうだ。

この日も強風。
苦労してテントを設営し、ティルタブリの裏山に登ってのんびり座る。
はためく無数のタルチョ。風に翻弄されバタバタと音を立てている。
この風に乗って、旅をするタルチョから生じた仏教の教え達。
いやいや仏教でなくともいい、本当はなんだっていいんだ。
人々の願い、後悔、懺悔がこの風に乗って旅をする。
なんだかとても、応援したくなってしまった。
もっと強く吹けばいい、そして遠くまで飛んで行けばいい。
切なる人々の祈り達。
この風に乗って。
まぁ、テント設営の時だけは静かにして欲しいが、、、
夜。
眠れなかった。
寒くて、足先が特に。
靴下を四枚重ねた、、、しかしそれでも寒い。
テント内は2度。摂氏で。
なぜかトイレが近い。
1時間おきにトイレに行きたくなる。
そして下痢。
便所なんてないので、全てその辺の河原で。
うぅん、辛い。
本当に眠れない。
睡眠薬代わりにレスタミンを飲む。
それでも、全く眠れない。
、、、、、羊を数えたり、足の指先運動を数えたり、、、
だめだ、、、少しうとうとしても、またトイレに行きたくなる。そして寒い。
寝袋、スリーピングバッグ、もっと上等の物を買えばよかった。
10時半に寝袋におさまって、今は4時。すでに6時間ほど、、、
寝ようと焦れば焦るほど、余計眠れない。
辛い。
そして朝。
いつの間にか眠れていたようだったが、、、
なんだか体がダルい。疲れがとれていないのだろう。
テント生活、、、嫌だ、辛い。
朝、食堂でごはんを食べてティルタブリへ。
この聖地ティルタブリまでは公共の交通機関はない。車道は通じているらしいが、ランドクルーザーをチャーターするか(金銭的に不可能)、歩きのみ。
道は明瞭で、電信柱沿いに行けば簡単に到着するらしい、それらなこの方向音痴の僕でもそれなら大丈夫だろう。歩きで2時間から3時間ほどらしい。テント、コンロ、食料2日分の入ったバックパックを背負い巡礼杖片手に、いよいよ出発。
歩き始めて30分ほど。
チベット人の巡礼者を乗せたトラクターが通りかかる。ダメもとで手を振ってみたらなんと停まってくれて、、、ヒッチ成功。
嘘みたいに、あっさりと。

20分ほど走って停車。
聞くと「加油」と。ガソリン補給だという。
しかしまわりに加油站、ガソリンスタンドなんかない。どうするのかと思っていたら、ドライバーがボトルを抱えて走りだした。
ああ、なるほど、、、
停車中のトラック(チベタン)に駆け寄り、交渉してガソリンを分けてもらった様子。で、ドライバー同士で雑談が30分ほど、、、これはお決まりらしい。
そしてやっと出発。
ティルタブリまで1時間ほどで到着。
ヒッチハイク代、お金の話は一切出なかった。
チベット人、かっこいい、、、
For Tourist
ティルタブリへ。
歩きしか基本的にはないが、工事用のトラックなどが結構通る。キュンロン方面との分岐まで歩いて1時間ほど。そこを左(南)に折れる(電信柱沿いに)。
歩くと2.5時間ほどではないかと、、、
ティルタブリには宿がないが、キャンプをはれるところはある。
メンシから日帰りも充分可能。
夕方、メンシの町をを散歩中。
雪はやんでいたが、分厚い雲が空を覆っていて。
空を見上げると雲が動いているのが分かった。
標高のせいか、チベットにいると雲が低く、そして近い。
凄い勢いで雲が千切れて飛ばされてゆく。
そしてわずかにできた「ヒビ」から真っ青な空がのぞいた。
そのヒビは隙間になり穴になり、いつか「空そのもの」になった。
あんなに分厚かった、青空なんて想像さえさせなかったあんな雲が、あっさりと消え去り、青空が現れる。ほんの15分ほどの間に。
魔術を、あるいは奇跡を見ているような、
いやきっと当たり前の事なんだろう。
こうして青空は、いつだって、できていたのだろう。
それでも美しすぎた、人間以上の、神のような力を持った何かを思わずにはいられなかった、チベットの青空。
次の目的地は門士(メンシ)。
西チベット三大聖地の一つ、ティルタブリへの起点となる。
ダルチェンからメンシまでヒッチハイクで20元から40元ほどと聞いていたので、ヒッチハイクしようと思っていたのだが、ダルチェンの町はアリープランのメインの幹線道路から7kmほど奥まった所にある。30kgを越える荷物を抱えているがなんとか歩こうとおもっていたのだが、、、
あいにくの、雪。そうとう寒い。
この雪、時に雹が混じる中、7kmは歩きたくない、、、しかも道はぐちゃぐちゃ、さらにはこの雪の中でいつ来るとも知れぬトラックを待つ、、、
凍死するよ。
で、宿で不貞寝することにする。
うぅん、アリに続きダルチェンでもスタック、と思ってのんびりしていたら食堂のおばちゃんが「バスが来たよ~」と。外に出てみると、アリ行きのバスだった。幹線道路から外れてダルチェンまで来るのも珍しいしこのタイミング、(アリープランのバスは三日に一本)。天佑かと思ったが聞いてみると、メンシまで「200元!」とあまりにも強気な値段を。交渉して100元まで落ちたのだが、メンシまでわずか2時間、距離にして60kmほど。それで100元は高い、、、しかしこの雪、、、迷った、、、
でも、結局バス。
泣く泣く払った100元。となりのチベット人はダルチェンーアリ(8時間ほど。300km弱)でわずか150元だった。外国人料金というのもあるし、途中下車でも値段はほとんど変わらない。とにかく西チベットは不便で快適でないくせにバス代が異様に高い。中国の通常の地域の5~10倍はする。
これからいったいどのくらいバス代、ヒッチ代がかかるのだろうと末恐ろしくなった、が、結果的にはこの100元が西チベットで払った最後のバス代になった。この時は思いもしなかったが、、、
~for tourist~
ダルチェンからメンシ 60kmほど 2時間 100元(1500円)
参考に中国その他のバス代を、、、
香各里拉~徳欽 184km 6時間 40元(600円)
蘭州~敦煌 1000kmほど 21時間 140元(2100円)
新都橋~カンゼ 300kmほど 9時間 90元(1300円)
モンラー景洪 300kmほど? 6時間 29元(450円)
いかに、この100元が高いか、、、
ドルマ・ラ
カイラスコルラ中、最高高度。5688m。
この峠で祈る事で、これまでの「犯して来た全ての罪」が帳消になるという。
僕は祈らなかった。
これまで28年間、食べたもの、飲んだもの、会った人、話した人、愛した人、裏切った人、僕を裏切った人、ついた嘘、演じた役、書いた脚本、煙草の傷まで、全てが今の僕を作っている。あの日、待ち合わせに行かなかった事も、あの指輪をなくした事も、あの人を死ぬほど憎んだ事までも、今の僕を形作っている。
こんな自分を、嫌悪しながらも僕は愛していて、そして僕を愛してくれる彼女、友人、家族がいる。
これからの長い道のり、抱えて行くには重すぎる罪でも、
それでもそれらを、こんな峠で置いて行こうとは、僕は思わない。
ピクニック
ドルマラを越えると、川沿いの道をダラダラと歩く。
カイラスは見えないし、景色は単調。そしてそれが20キロほど続くので、かなり疲れる。
途中まで道は平坦だったが、ダルチェンの町に近づくにつれ、アップダウンも多くなる。何度も緩い坂を下り、また登る。
あそこにまた坂が見える。
時間的にはそろそろ集落が見え始めるはず。
あの坂を上れば、夕飯時の民家が見えるだろうか。
体はくたくた、足も痛い、ジーパンも破れた。
そうだ、あの坂を上った所でピクニックしよう。
村が見えなくても、まだ先に峠が続いていようと、座るに手頃な岩がなくても、あの坂を越えたら、バックパックを下ろして、足を伸ばし、お茶を飲んでお菓子を食べよう。
何にもない峠でも、特別でもない、名前さえない峠でも、
あの坂を上ったら、きっと僕はピクニックをしよう。
我的コルラ
無事、コルラを終了しました。
たくさんのチベット人、同じく巡礼者に励まされ、コルラ完了。
僕のコルラは、面白い。
テントやコンロ、3日分の食料を背負って、チベット人のポーターにスピードでは負けなかった。
チベット人にはチベット語で、
中国人には中国語で、
韓国人とは韓国語で、
西洋人とは英語で、
そして日本人とは日本語で、ちゃんと話して笑顔を交わせる。
少年僧に聖地スポットを聞いて、
瞑想用洞窟では、とりあえず目を瞑ってみて、
尼さんにお茶をご馳走になって、
テント商店でコーラを飲んでプシューとする。
僕のコルラは面白い。
これならきっと僕の旅行も面白いんだろう。
そしてきっと、僕の人生も、きっと面白いのだろう。
2006年6月2日、午後7時10分すぎ、
カイラス山、カンリンポチェ、我的コルラ(僕のコルラ)完了。
逃走
あれはなんだったのだろう。
鳥の鳴き声だったのか、時計のアラームだったか、それとも僕が発した声だったのかもしれない。あるいは何も聞かなかったのかもしれない。
ふと我に返ると、そこに「僕」がいた。
カイラスがそこにあった。恐ろしい顔をしていた。
つぶれた足のマメが痛いと、感じ始めた。
川の水が冷たいと、感じ始めた。
死ぬかもしれないと、そしてそれが怖いと、そう感じた。
逃げた。
何度も躓きながら、崩れる崖を転げ落ちながら、
直感的に川沿いに下ればゴンパに戻れると、
逃げた。カイラスに背を向けて。
直面
自分のテントに戻って。
彼女に会いたくて、声が聞きたくて仕方がなかった。
家族や友人にも会いたかった。
腹が減ってどうしようもなかった。
インスタントラーメンを作って食べて、腹は一杯なのに何かまだ食べたかった。
シュークリーム、プリン、柿の種、うなぎ丼、キンパプ、すき焼き、マクドナルド、、、食べたくて食べたくて、眠れなかった。
逃げて来たのだ、そう思った。
あれほど焦がれ続けたカイラスから、
あれほど求め続けた、非俗な世界から、
僕は逃げて来たのだ。
カイラスは迎えてくれたろう、
しかし直前で僕が、背を向けた。
直面。
カイラス北壁の真っ正面に張ったテントの中で、
テントのジッパーを閉めてカイラスに背を向けて、
そして直面したこと。
僕のついて来た嘘、
僕の犯して来た罪、
数々の裏切り、
死にたいとさえ思っていたけれど、殺したいとさえ思ったけれど、
それでも、そんなどす黒い自分を、僕は捨てきれないのだという事実。
そんな自分でも、こんな自分さえ、僕は愛している。
そしてそれらを抱えて行きて行かなくてはならない。
人を憎みながら、嫉妬しながら、嘘をつきながら、裏切りながら、
でも人を愛しながら、時に素直になりながら、約束を守りながら、誰かを守りながら。
きれいな色は出せない。
純にはなれない。
でも、「こんな」で、これからも行きてゆこう。
扉
僕が見た、あのカイラス北壁を、「世界で最も美しい光景」と名付けよう。
きっとあの僕が見たものは、それに値する。
だから、もう探さない。
あれ以上のものは、もうないと、ひとつの区切りをつけた。
でないと、また「扉」を開け続ける事になる。
一生、「より美しいもの」を探して旅を続けてしまう。
終わりのない、きりのない旅になってしまう。
帰るから。僕は。
あの誰かのように、僕はならない。
世界で最も美しい光景を、僕は見ました。
だからこれ以上、
探し続けることは、
扉を開け続ける事は、
もうしないのです。
ふたり
ずっとね、あんたとふたりになりたかった。
俺の話を聞いて欲しかったし、あんたの話も聞いてみたかった。
どす黒い部分をぶちまけてみたかったし、あんたの美しい姿を拝みたかった。
あんたとふたりになりたいの。
あんたとふたりだけにね、おれはなりたいの。
ディラプクゴンパから見るカイラスはまだまだ他人の気がした。
間にチャナドルジェとチャンレージ(それぞれ金剛手菩薩と四劈観音菩薩に例えられる)がいるからかもしれない、ありがたい山々だということは分かっているが、今はnothing but troubleで。(邪魔なだけ)
道なんてもちろんない。
最初はすぐそこに見える峠に向って。
その後は川沿いに。
杖を片手に、岩の上、氷の上を。
ずんずん歩いて行った。
あんたとふたりになりたいの。
あんたとふたりっきりに、おれはなりたくて。
ひとり
どんどん大きく見え始めるカイラス。
真下にあるはずの氷河までくっきり見える。
それもそのはず、カイラスの奥の院よりも、距離的には近い。
おそらく世界中で、この瞬間、最もカイラス山に近い人間だっただろう。
美しい、でかい、雄大、、、そもそもこの山につける言葉なんて人間は持たない。なんせ、神、仏そのものなのだから。
雲が晴れた。
というよりは、雲を追い越したのかもしれない。
青い空に、ひとつ。
カイラス。
雪を頂いた、あまりに垂直の、北壁。
想像した、思い描いたカイラスはこんなだったろうか。
想像通りなのか、想像以上なのかさっぱり分からない。
ただただ圧倒された。
ずっとカイラスと対峙していると、
時間、空間の感覚がなくなる。
時計が律儀に動いている事まで不思議な感じがし、
東西南北、上、下、縦、横という方向感覚がなくなる。
分かっていた。
カイラスと「ふたり」になるには。
自分が「ひとり」になる事が必要だということ。
ひとりとは?
真にひとりとは?
ある登山家の問いかけ。
誰の賞賛も抱擁も期待せず、
誰の干渉も助力も受けず。
真にひとり。
一人でいても誰かを思わずにはいられない。
誰かに何かを伝えたくなる、共有したくなる。
下世話に言うなら、誉めて欲しい、驚かせたい、報告したい。
いつも誰かを待っている、探している。
そんな自分から脱却して、「ひとり」となること。
一人だけの、誰もそこにいない、誰も介在しない世界。
ひとりだけの世界とは、ただ誰かがいない場所でなく。
誰も思わない、誰かさえ待たない、誰の名をも呼ばない、
それは僕だけがひとり、そこに座っている世界。
嫉妬も妬みも焦りも、そこにはなく。
そんな「ひとり」だった。
そしてそんな「ひとり」と、「カイラス」があった。
やっとふたりになれたと思った。
そして、、、
ひとつ
突然の腹痛。
川沿いで、尻を出し用を足す。
肛門に激痛。それは今まで経験した事のないような。
しゃがみながら、体を支えきれず、両手を前につき、顔を突っ伏す。
激痛に声も出なかった。
泣いていた、鼻からも。口からもよだれをたらして。
どのくらいそうしていたろう。
ああ、そうか、と。
これで、ふたりが「ひとつ」になったのだと、そう思った。
カイラスは、カンリンポチェは、ヒンドゥー教では男根に例えられる。
(逆にマパムユムツォは女陰に)
ひとつに、カイラスと、なったのだ。
そして、無(ゼロ)
強風。
カイラスから吹き下ろす風。
さっきまで感じていた恐怖が消えた。
足場はボロボロ、かなり大きな岩まで崩れ落ちて来る。
滑り落ちながら、時には這いつくばいながら、まだカイラスに近づく。
何かが溶けて行くのを感じていた。
溶けているのは自分なのか、それともカイラスなのか、そのほかの風景なのかよく分からなかった。
強風が、自分の体を吹き抜けて行くのが分かった。
自分を包んでいた細胞も肉も壁も膜も、溶けて行ったのだろう。
ゼロになる感覚。
そしてゼロは全て、無限だという実感。
こうしてなんにもなくなるんだなぁと感じていた気がする。
こんな瞬間を待っていたんだ。
こんな瞬間が欲しかったんだ。
何にもない、それでいて、ないものなんてない、全てがある。
宇宙に溶けゆく感覚。
カイラス、カンリンポチェ、神山、聖峰チセー、天然の曼荼羅。
仏教、ヒンズー教、ボン教、ジャイナ教徒にとっての最高の聖地。
そして僕が四年間焦がれ続けた山、マウント・カイラス。
この旅で僕が最も訪れたかった、絶対にはずせなかった山、カイラス。
人間なんてそう変わらない、そう思う。
変わるとすればきっとそれは状態変化、温められて冷やされて圧されて潰されて、そしてゆっくり形を変えてゆくもの。一瞬で全てが変わるような化学変化は起きない。
それはビートルズだって歌っているように。
「Nothing is gonna change my world
Nothing is gonna change my world
Nothing is gonna change my world
Nothing is gonna change my world...」
たった一瞬で、全てを変えたり破壊したり人生を、人間を根こそぎ変えてしまうような、そんなパワーを持っている場所が、一つあるとすれば、僕はそれこそ此所だと思っていた。
カンリンポチェ、Mt.カイラス。
そこは仏教徒、ヒンドゥー教徒、ボン教徒らが命をかけて山の周りを回る(コルラ、仏教用語で右遶)すると言う。ある者は100回200回と、ある者は五体投地で。
いつか絶対に見たかった、巡礼を果たしたかった山、カイラス。
この山の存在を知ってから四年間、心のど真ん中にはずっとこの山があった。
全部コルラだと思っていた。
そう思って、苦しい時期を過ごしていた。
あの意味のない桜上水のコンビニの往復も、通勤の満員電車も、なんだってコルラだと。これもカイラスの回りを回っているのだと、そう自分に言い聞かせていた。いつか行けると信じていた。
そして旅行に出て、いよいよいつでもチベットに行けるという段になると、チベットから逃げ始めている自分を感じていた。イギリスの前にチベットに行く事もできた、韓国から直行する事もできた、東南アジアの後、雲南省から入る事もできた。しかし僕が選んだのは韓国から東南アジア、雲南省、四川省、新彊ウイグル自治区、そしてやっと西チベット。
怖かったのだ。
この山を見て、自分がどうなってしまうのか。
壊されてしまうのではないか、
帰って来れないのではないか、
あるいは逆に、何も感じなければどうしようという恐怖。
そして一番大きかったのは、この山を見てしまったら、会ってしまったら、一つの区切りをつけなくてはいけないだろうという、予感だった。
夕方、ディラプクゴンパに到着。
今日はここにテントを張る。
ここから見える、拝めるカイラスの北面は
「この世で最も美しい光景」の一つだという。
しかし、そうは思わなかった。
僕が焦がれ続けた、追い続けた、そして逃げ続けたカイラスは、
「こんなもんじゃない」と、そう思った。
そうして僕は歩き始めた。
カイラス、北面に向って。