無事、チベットの都、ラサに到着しました。
新蔵航路から、アリ、神山カイラス、ティルタブリ、グゲ遺跡、マパムユムツォ(聖湖)、曲龍遺跡とたずねて、ラサへ。

奇跡が起こり続けた、
奇跡を起こし続けた、
最高の西チベットでの20日間でした。

西チベットの雄大な自然の下にさらけ出された、
自分の強さ、弱さ、美しさ、そして醜さ。

2004年、5月1日、あの時死ななくてよかった。
停まってくれたダンプの運転手、ありがとう。
もう死んでもいいと思ってたけど、やっぱりダメだったんだ。

1978年、3月7日、生まれてきてよかった。
お父さん、お母さん、本当にありがとう。
それはいつかの予感の通り、やっと僕に訪れた、最高の充足感。

チウゴンパからメンシの町に戻って。
食堂に入って。
鏡を見て。
驚いた。
顔に。
自分の。

10日ぶりで見た自分の顔。
日焼けで黒ずんだ額。
水ぶくれして破れた鼻。
埃まみれの目尻。
ガサガサの唇。
頬はチベット人のように赤くなっている。

高度5000mの宇宙光線と極度の乾燥、
砂埃、排気ガス、そしてチベット人との触れ合いが作った、
僕の顔。

わるい顔じゃない、いい顔でもないけれどね。

 

 


 

ヒッチなんて最悪だ。
何時間も、待ちぼうけなんて当然。
乗れてもギュウギュウ詰めのキャビン、砂埃舞い込むトラック荷台、スペアタイヤの中。
寒さに震え、トイレを我慢し、検問に怯え、尻の感覚はなくなる。
眠れば鉄柱に頭をぶつけ、黒色の服は灰色になり(埃で)、バックパックにはコールタールがべっとりと(アスファルト運搬トラック)。
まぁ、最悪。

バスだったら、ランクルだったら。
移動の心配をする事もない。
天気を心配して空を見上げなくてもいい。
地図も見なくていい。
中国語もチベット語も覚えなくていい。
写真を撮りたきゃ「フォト」と言えばいい。
何か文句があればドライバーやガイドに当たればいい。
まぁ、最高。

でも僕は知っている。
バター茶のうまさ。ツァンパの粉っぽさ。
チベット人のおじちゃんが、峠にさしかかると車を止めて、持って来たタルチョ(五色の旗)を、電柱に結んでいる、あの満足そうな顔。
その後リンガ(ピクニック)して歌を歌うこと。

知っているだろうか。
チベット人ドライバーがカンリンポチェを仰ぐ眼差し。彼らの心の中にはいつだってカンリンポチェがあり、彼らはカンリンポチェを仰ぐ時間に「帰って来る」のだという事を。だから旅行者のように大騒ぎしてシャッター切りまくるなんて必要ないのだという事を。

「お客さま」には決して見せてくれたない、彼らの素顔、横顔。
そんな彼らの隣に、僕はいた。

 

 

 

 

 

夕闇に霞がかるカイラス。
暗い光をたたえるマナサロワール。

圧倒的な夕焼け。
そして昇った月。

きっと神のような、人間の力を、叡智を越えた存在は、きっとある。
だって、ない訳がないもの。
美しすぎて。

その中を僕たちは歩いている。
今日も祈りを捧げながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マナサロワール湖、マパムユムツォ湖畔のチウゴンパへ。
交通手段、ない、歩くしかない。10キロくらいの道のり。

前方には聖なる湖、マナサロワール湖、振り向けばカンリンポチェ、カイラス山。最高の散歩道。




3時間ほどでチウゴンパに到着。
チウゴンパにも宿泊可能だと聞いていたが「没有」と。
仕方なく、ゴンパ前の商店に宿泊。



食堂、やはりない。
またラーメン。
宿のおばちゃんがなにか野菜を炒めていたので、ちょっともらう。米飯もくれた。かなりの冷やごはん。

食べ物に、自分がこんなに弱いとは思わなかった。
西チベットで一番苦しんだのが食べ物かもしれない。
テント泊の時はもちろん自炊、となるとラーメン。
町に宿泊していても食堂がなければ、ラーメン。
次々に食べたいものが頭に浮かぶ、、、シュークリーム、スパゲッティ、普通の食パンにジャム、親子丼、カレーライス、、、
西チベットに「プリン(波林)」という地名があるのだが、それを見て「カスタードプリン、、、」と気が狂いそうになっていた。

食堂があって、そこにメニューがあって、好きな物を選んでお金を払えばそれを食べれるという事が、どれだけすごい事か、、、を実感。

弱い。こんなに自分が食べ物に弱いとは。
もし拷問されるなら、、、爪をはがされたくらいでは友達の名前は吐かないかもしれない、でも兵糧攻めされたら、、、あっさりゲロるかも。

直面した自分の弱さ。
僕は餓鬼だった。

グゲ遺跡からの帰り、札達からもトラックの荷台にヒッチさせて頂く。
行きと同じく、ナムルルートでアリープラン街道(西チベットのメインの街道)に出るものと思っていた。

札達から3時間くらい走って、停車。
トイレ休憩だろうと思って荷台から外に出てみる。荷台からは幌に覆われていて外が見えないのだが、外に出てみてびっくりした。
迷彩服。ライフル銃。軍だ。検問だ。しかもかなり緊迫している様子。
ドライバーさんの僕を見る目が僕が最悪のタイミングでのこのこ出て来てしまった事を物語っている。

しかしナムルまでに軍の基地などないはず、何かおかしい。ふっと、建物の看板を見てビビる。
「達巴」。
げっ、、、!あの「ダワ」だ。インド国境まで20キロ、中国ーインドの最前線。外国人の訪問許可はまず下りない、強烈な検問で有名なあのダワ、、、

ここで。
僕はこの「ダワ」の通行証、旅行許可証を持っていない。
本来、チベットではヒッチハイクは「禁止」。
さらに、トラックの荷台に乗るのもわりと厳格に「御法度」。
もう一つ、トラックは3人乗り、どう見ても「一人多い」。
やばい、相当やばい。
最悪の場合、僕はここでトラックを降ろされてもいい。
でも、せっかく乗せてくれてるドライバーに迷惑をかけたくない。(最悪の場合、免許停止になる事もあるらしい)

中国人民解放軍辺防検査隊の尋問が始まる。
とぼける、しかないでしょう。この場合。
僕がとりあえず口走ってみたこと。

「あれはトラックじゃなくて、バスだ」→(かなり無理あり)
「あれは荷台に見えるが、中に座席がある」→(ない)
「俺のおじいちゃんは中国人だから外国人許可証は不要だ」→(父、母側とも生粋の日本人)
「これからカンリンポチェに巡礼に行く」→(もう終わった)
「200元しか持っていない。」→(お金の話をわざとして、軍人さんに賄賂の要求を出すタイミングを与えている)

で結局、通過。
ドライバーさんもうまく話をつけてくれたらしい。
よかった、、、

 

 

 

 

 

僕が西チベットで行きたかった場所。
カイラス、カンリンポチェ、コルラ完了。
ティルタブリ、終了。
グゲ遺跡、終了。
残るは曲龍(キュンルン)遺跡、
そしてマパム・ユムツォ(マナサロワール湖)。

順番としては、キュンルン遺跡が先となる。その為、起点となるメンシで降ろしてもらえるようドライバーさんにお願いしていたのだが、、、
前述の通り、ナムルルートでなく、最近開通したというメンシーツァンダ間の車道をトラックは進んでいる。メンシから距離にして140キロほどだろう。しかし、10時間ほど走っても、到着しない。
ドライバーさんもトラックを止めて、遊牧民に道を聞いたりしている。
どうも、道に迷っているようだ。

 



19時頃、なぜか遠くにカイラスが見え始めた。
という事はメンシを完全に通り越している。
やはり道を間違っていたらしい。
メンシは通り過ぎた。

予定変更。
先にマパム・ユムツォに行く事にする。
で、バルガで降ろして頂いた。
20時頃。長いドライブだった、、、

バルガで降りてみてびっくり。
何にもない。「何にもない」とは聞いていたが、本当に「何にもない」
とりあえず、一軒の住宿へ。
部屋に、鍵、ない。棒が一本。
部屋に、電気、もちろんない。蝋燭一本。
町に食堂の看板、潰れてる。カップラーメンしかない。

西チベットで「町」と言えるのはアリ、プラン、ツァンダくらい。
あとは、トラックストップ程度。それでも食堂くらいはあるし、夜の9時くらいには電気だって来る。しかし、ここは、、、

蝋燭の灯りのもと、日記を書いて就寝。

 

札達の町から北に20キロほど、壮麗な壁画の残る、ピャン・ドゥンカル遺跡というのがあるらしい。わずか20キロ、しかし車道はなく、トレッキングルートのみ。

是非、ドゥンカルの壁画は見てみたいと思っていたが、、、あのサンダル谷を見て、正直びびってしまった。この谷を越えて行かなくてはならない、、、
そして運良く札達からメンシ方面に相乗りさせて頂けることになり、、、

正直言うとこの頃から、かなり弱り始めていた。
西チベットに入って10日ほど。
高度順応は完璧、体も元気だ。
しかし一番辛かったのは食べ物、そしてテント生活。
インスタントラーメンくらいしか携帯食は買えず、テントの中、特に朝方は凍えるほど寒い。
正直都会が恋しくて、
ピャン・ドゥンカルに行くのなら最低三日はテント、食堂もないので、3日分の食料を担いで行かなくてはならない。

結局諦めてしまった、ピャン、ドゥンカル遺跡。
うぅん、弱い。
こんなにも、自分は弱い。

グゲ遺跡、来ました。
で。
これは、、、なんというか、、、、

この辺りの地層がまず凄い。
土林という浸食された地形。「グランドキャニオンの百倍」だとか、「風の谷のナウシカ状態」だとか言われるのがそれ。
そんな中を日の出と共に2時間歩いて中国人のテレビ局のランクルをヒッチして辿り着いたグゲ遺跡。

声が出なかった。言うべき言葉がなかったのかもしれない。
人間の作り出す芸術の美しさ、そしてそれを思想の名の下に破壊した人間のおぞましさ。

ここの壁画、仏像は本当に素晴らしい。
そしてそれらのほとんどは、文化大革命の時に破壊されてしまっている。
金地の縁だけ削り取られた壁画、胸についた宝石だけえぐり取られた仏像。楽しむかのように徹底的に破壊された大仏、悲しい顔を浮かべた頭部だけ残された菩薩像。奇跡的に助かった忿怒像。
手が届かなかったのだろう、美しい天井の壁画。
浮かんで来る数々の疑問と、背中に浮かぶ気味の悪い汗。

人間はかくも美しい。
そしておぞましい。

何度呟いただろう、
「にんげん、、、にんげん、、、にんげん、、、」

分かっている。僕は分かっている。
今日グゲで見た美しさも、そしておぞましさも、それらは、
今のこの僕の中にもあるもの。

僕だって、「ある条件下なら」、
あんな微笑みを浮かべた素晴らしい仏の絵を描くし、
そしてまた、「ある条件下なら」、
ツルハシでそれらを砕くのだ。ゲームを楽しむかのように。

一つ言える事はそれが人間だということ。
それが「僕でもある」ということ。

 

 

 

 

 

乾屍洞。400年前のミイラ達が今も残る。ラダックーグゲ戦争でラダック軍に殺された兵士達。全員首がないらしい。場所が分からなければ、グゲのチケット売場で聞けば教えてくれる。

 

札達の町からグゲ遺跡までは徒歩のみ。歩いて8時間とも4時間とも。
日の出と共に歩き出す。水と食料を少し持って。
時々振り返って、太陽の位置を確認する。
太陽が昇った分、僕は歩いたという事。

 



ランドクルーザー。ランクル。
チベット、特に西チベットを旅行する場合、その存在は大きい。
ハイスピードで、砂塵をまき散らし駆けてゆく四輪駆動。
通常西チベットを旅行する人は、ラサで旅行会社を通してランクルをチャーターする。ラサー西チベットーラサで15日間ほど、一人3000~4000元らしい。
もちろん旅行許可証を取ってくれるので、公安に怯える事も、次の移動の心配をする必要もない。運転手とガイドつきの快適な旅。

僕のようなヒッチ派から見れば遠い存在でもある。
トラックやトラクターはヒッチできても、ランクルはなかなか止まってくれない。どんどん追い越されて、すぐに見えなくなる。コーラの空き缶を窓から放り投げながら。

歩き始めて2時間。ヒッチハイク成功、しかもランクル。
中国のテレビ局のクルー達。今回の旅行で初めてのランクル乗車。

速い。岩を踏み越えて川を突き抜けて、進んでゆく。
ソファが柔らかい。エアコン付き。
服が汚れる事もない。靴が汚れる事もない。

そんな便利さを享受しながら、なんだか少し寂しかった。
ランクルの窓から見ると、あの雄大な西チベットの自然が、
なんだかただの荒野に田舎に見える。
ヤクの群れを鞭一本で追い回す、あのかっこいい遊牧民までもが、なんだかピエロに見える。
ついさっき5分前まであの自然の中を歩いていて、一体となっていたのに。

きっと決して、あんな小さな窓からのぞけるものではないのだ。
なんだか檻の中から、外の世界をのぞいているような、
そんな寂しさを感じていた。

西チベットの広大な自然と一体となるには、体でちゃんと感じるには、
ランクルの窓は小さすぎて、
そしてあのスピードは速すぎる。

 

 

 

For Tourist 

札達への道。
ナムルルートとバルルートがあるが、主に使われているのはナムルルート。しかし現在、ダワを通って、メンシ、カイラス方面に抜ける車道が開通している。(昔はトレッキングのみだった)ただし、交通量は少ない。ダワでは軍が強烈な検問を張っている。(旅行許可は個人では下りない様子)