今年もなんだかんだと9月になった
苦手な暑さ
けれども大好きな夏の季節が終わり、また編み物検定の月を迎えた
2年前から挑戦中の編物検定
文部科学省後援の検定で、正式には
『毛糸編物技能検定』
通称、『あみけん』といわれている
1級から5級まであるが、ある程度の経験があり、作品を編んだことがある方ならいきなり3級を受けてもおそらく問題なく合格するだろう。
2級から一気に難しくなるが、2級は人に教える補佐が出来るレベルなので当たり前である
人に教えると言うことは相手が理解してはじめて教えたことになる
一つの事を教える時に、教える側は一つの言葉ではなく、3通り、いや5通り、いや、もしかしたら10通りの表現が必要なときもある
なので、教える側は深く理解していないとそれが出来ない
それでも、なぜ編み物に歴史の勉強が必要なのかはいまだに若干の疑問も否めないが、1級ではそうなっているので従うのみである
いや、編み物の歴史を熟知していることもやはり必要なことなのかもしれない
理論問題は 歴史・色・スタイル画・製図
実技問題は 棒針・かぎ針・アフガン
見直す時間の余裕はあるのだろうか
『はやく試験が終わってしまわないかなぁ・・・』
毎年この時期になるとこう思うが
今年もやはり9月に入りこの気持ちがより強くなる
それでもあともう少しでこの重圧感から解放される
試験の勉強はもちろんだが、
体調を崩さないようにするということも、大切なことだ
2年前の検定を受けたあとに手術をしてからというもの、免疫力がガクンと落ちてしまった
体質が変わったのか、はたまたただの更年期なのかは何ともいえないが無理はまったくきかなくなった
それでも去年の夏は車椅子だったが、松葉杖からクラッチ杖になり、今は一本杖に進化を遂げた
札幌で手術をしてくれたのスーパーマンS先生の事をさっきふと思い出す
患者を泣かせる毒舌をはく苦情の多いドクターだが、何故か自分は気が合った
スーパーマンS先生とは喧嘩みたいな言い合いになる事もあったが、その問題が終わるとまたお互い笑顔で話せた
主治医は歩けるようになるのかはわからないというのに、S先生だけは
『歩けるようになるから。絶対大丈夫だから』
と言ってくれたただひとりの医師だ
病室で製図を書いていたら、
「服つくれるの?すごいな。僕はそういうのさっぱりだよ」
と、スーパーマンらしくニヒルに言う
「先生の手術の腕前の方が、よっぽどすごいですよ」
と自分が言い、笑いあった記憶がある
美人の友人が、
「あの先生と渡りあえる患者はいないと思ったけれど、ここにいた。主治医変えてもらったら良いんじゃない?」
と、笑っていたのも懐かしい
編み物検定は、病気との闘い、白い巨塔との闘い、後遺症との闘い───これらと並行して進んでいる
忘れっぽい自分でも
生涯忘れることのない3年だと思う
歩けなくなっていても、いつも手には編み物があった
編み物は自分にとって軸になる何かであることは間違いない
編物検定まであと15日
一日机の前で座っていられますように
喘息が出ませんように
足に響くお腹の痛みが酷くなりませんように
そうそう、寝坊しませんように