2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術を行ったその後の記録です
2016年7月10日に書いたブログです
自分の住む町の奥地の山の中に一件の蕎麦屋がある
お気に入りのこの場所で、いつもの蕎麦をすすっているといつの間にか外はざんざんの雨模様
心地よい時間が過ぎて、なんとなくけだるかった自分に頭痛と下肢の痛み、しまいには喉のかゆさと全身の倦怠感が襲ってくる
家に戻ると起きていられず横になる
すぐに意識は朦朧となり、こんこんと夕方まで眠り続ける
イヤなことや忘れたいことがあると眠くなる
どうやら自己防衛力が働くらしい
この眠気がどういう意味かはわからないが
わからないことは世の中にごまんとある
病気は治ったはずの自分の下肢が不自由になっていることもよくわからないことである
医者や周りは『わからない』と言ってそれで終わりで良いかもしれない
でも自分は『わからない』でいいわけじゃない
でももうこれ以上何をしたらいいかもわからない
人は一生懸命何かを願うものだが、一生懸命願っているときはそうならないもので、その願いを忘れかけた頃にそれが叶うんじゃないかって思う
そしてあがいている時は出口が見えないような気もするけれど、どこかには必ずちゃんと繋がっている
退院してから友人宅に顔を出した時の話し
鍼灸師でもある友人は遊びに行ったはずの自分に診療ベッドに寝るように指示をする
自分のお腹に手を充て、びっくりしたようにこう聞いてきた
「手術っていつだっけ?」
手術は半年前だったことを言うと、
「そうだよね、何でこんなに炎症おこしてるの?」
と、言った
そして癒着のことをいわれた
外の傷は治っていても中の傷口はまだまだ炎症を起こしていて、傷口を治す為に癒着を起こしていて
その癒着は固まってしまったらもうどうしようもないらしい
体が治る為にくっついていく自然現象ではあるが、それと同時にくっいてはいけないところをはがす必要があるということだった
手業での東洋医学の奥の深さを感じた
その数日後に札幌の病院への通院があった
その時、主治医の口からも『癒着』という言葉が出てきた
半年目で初めて先生が放った言葉であった
数日前に友人から聞いたことと同じことを主治医は言い出した
「表に見えている傷口は治ってきているけれど、中は開けたときに相当いじっているんです
臓器を取って、あっちこっち縫った傷口が癒着を起こしています」
主治医は更にこういった
「癒着をはがす為にはまたお腹を開けてメスではがすことになりますが、はがしたそれがまた治る為にくっつくので意味がないんです
どうしようもありません」
西洋医学はここまでだな……とその時思った
切ったり貼ったり科学的な治療が長けている西洋医学から、人間本来の力に着目している東洋医学へ移行するいい時期だなぁとその時思った
西洋医学も東洋医学もどちらも自分は否定しない
なんだっていいと思う
少しでも体が楽になればいい
理屈はいらない
治ればいい
そういえば、人は何か切り替わるときにものすごく眠くなるらしい
好転するときにそういう状態になるらしい
いつでもどこでも眠れている自分にこのセオリーが当てはまるのかはよくわからない微妙なところではあるが、そう思うくらい良いだろう
自分の闘いは舞台が変わってもまだまだ続く
ひとりの静かな時間をピーターポール&マリーを聴きながら編み物検定の勉強でもするとしよう