2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年7月12日に書いたモノです
お役所仕事は・・・と昔からよく言ったものだが、今日、自分の住んでる町の役場の斡旋する、障害を持った人達の相談所の社会福祉士と面談した
身障者手帳が出来るまで何もできないことは申請に行ったときの役場の職員の話でわかった
不自由な部分を手伝ってもらうのも手帳が出来てからである
そして色々な手続きや段階を経て、サービスを受けられる
役場の職員は、その色々な段階のものの中から、今、先に出来ることを準備して、手帳が出来てからすぐにでもサービスを受けられるようにと配慮をしてくれての、今日の面談であった
お役所は・・・とは言うけれど、この体の状態を見ての出来るだけの速やかな対応に、ありがたいなぁと思っていた矢先のびっくりした話しである
隣町の相談所の若い社会福祉士の2人は、今の状態になった経由を発病から現在まで聞いてきた
色んな人にいいだけ聞かれて、もう、話すことも疲れてしまうような思い出したくもないような内容ではあったが、話さないわけにはいかないので、あったことを順序だてて話す
一通り話し終えたあと、社会福祉士のひとりが
「・・・壮絶な話しですね・・・」
と、言った
そうだろう、なかなかこんなこと人生に有るもんじゃないよ……そうそうあってもいけないじゃん・・・・・・と、思いながら、今病院から借りてる松葉杖だと歩くだけは歩けるけれど、生活上不便なことをいい、何かほかに良いものはないか、早速聞いてみた
「わかりません」
意外な答えが返ってきた
そういうことを相談したくて来ているのに変だなぁ・・・・・・と思いながらも自分の聞き方が悪かったのかと思い、気を取り直して話を続ける
「こないだ外にいたときたまたま雨が降ってきたんです。ぱっと屋根の有るところに動けるわけでもないので、濡れっぱなしで、どんどん体は冷えてきました
そういう時、何か便利なものとかはないのでしょうか?」
そう聞いた自分に
「そういうものはネットとかで調べたら良いんじゃないでしょうか?」
と、その社会福祉士は答えた
さらに、
「障害者が使う用具は全部買い取りになりますから、もしそれが不要になった時はリサイクルショップに売るとかかなぁ?でもいくらになるかわかりませんけれどね」
呆れてぽかんとしている自分に、まだまだこう続く
「そういう介護用品みたいなところを取り扱っている業者を知ってますか?」
と聞いてきた
びっくりしながら、両親のことで以前お世話になっていた業者のうろ覚えの名前を出すと、
「そこに聞いてみてください」
と言い、さらに
「ホーマックでもそういうの取り扱ってるじゃなかったかなぁ・・・行ってみたらいいですよ」
「・・・・・・・・・」
通院のことも同じだった
ヘルパーステーションを自分で見つけなければいけないらしいことも言い出した
思わず、こう聞いてしまう
「介護でいう、ケアマネさんはどこにいますか?」
悪びれた様子もない彼女たちは
「私達ですよ」
と、にっこり笑う
だめだこりゃ
二時間もの無駄な時間を過ごしたなと思い、下肢の痛みも出てきたので、今日は切り上げることにした
笑うしかないお粗末な対応だった
力が抜けたまま
役場に電話を入れる
健康福祉課の担当者につないでもらい、さっきの社会福祉士との話しをざっと伝えると、びっくりした反応だった
びっくりしてるのはこっちの方だが、それでも自分が言っている事がきちんと伝わっていることにほっとする
怒るという事は体力を奪われる事だと、先日の入院のあの一件で充分過ぎるほど味わった
ただでさえ不自由で、ひとつひとつの動きに体力を使うのだ、余計な体力は使うまいと思っている
何事も経験である
人生勉強だ
それにしても今日の若い2人の社会福祉士には
『びっくりしたなぁ、もう··········』である
闘いはまだまだ続く