◾️写生の思い出あれこれ | 魔法の色鉛筆

魔法の色鉛筆

✴︎明日賀じゅん✴︎
元少女マンガ家で3兄弟の母。

不思議でしあわせで、へんてこりんな空想の世界を描く。

天気のように変化する心模様、感情、感覚。
絵と心を繋げる、ふつうでへんてこな日常。



ふと、写生に関して

たくさん思い出が溢れてきたので
つらつらと。

小学3年生の終わり頃
長崎の小学生達が、大人の数人の引率で
中国を旅行し、交流するという企画に
両親が申し込み、

初めて単身でツアーに混ざって
海外へ行った。

 
ツアーのスケジュールで
万里の長城でスケッチするという
イベントがあって、

ツアーのみんなは、
写真を撮ったり絵はがき買って、
日本に帰ってからそれを見ながら
絵を描けばいいよね、
と、万里の長城の観光に出かけたけど、

私はその場に1人で残って
スケッチをしていた。(真面目)

 
小さくて童顔で、
当時は日本人が珍しかったのか、

中国のおばちゃん達に次第に囲まれて
ほっぺやら服やらを何か言われ触られながら、
何を言ってるかわからず、何も答えられず

怖いわけではないけど戸惑いながら
下書きが終わるまでスケッチを描いていた。

  
大学で専攻した日本画コースの先生は、
その場の感覚や空気感、
その場で流れる時間を大事にする
写生を重んじていた。

写真だと対象物によっては
フラッシュ痕が出るし、
肉眼でなくカメラを通した見方になるためか、
写真を禁止していたので

一度は写生には行っていた。

 
が、場所的に何度も行けない所があって、
写真は撮って帰っていた…。

 
マンガ家を目指していたので、
大学がない日に雑誌に投稿するマンガを
部屋に籠って描いていたら、

一度、
先生から電話がかかってきたことがあり、

「今家にいるのか?写生に行ってないのか?
まさかマンガを描いているのか?
君の本業は学生だから、写生に行きなさい!」

と言われて、

マンガ、描けないじゃん、と
憤った。

今となっては、
先生の気持ちが理解できる、
思い出。

 

卒業制作に伏見稲荷を描こうと、
人のいない時に神社で写生してて、
怖!て思いながら描いてて、

なんとか写生は描いたけど、

最終的に挙動不審になって、

卒業制作にするのはやめた。



 
動物園の虎を描くため近づいたら
柵越しにおしっこかけられたり。

そんななか、
象の写生をしていた時

象を見ていた人達が
あの象はハナコと言う名前で、
もうおばあちゃんで、
戦争で…と話をしているのが
聞こえた。

写生をしたきっかけで
その話を聞いたのと聞かないのでは
やっぱり何か
絵を描く感じが変わってくる気がした。

当時の絵の、写真の、写真。