夏の夜の怖~いお話。
もう何十年も前のこと。その頃はまだパソコンが一般家庭にある時代でもなく、人のお下がりのワープロで原稿を書いていた。
狭い液晶に2行ずつくらいを表示させながら漢字変換していくスタイルのものだった。
それが曲者。
名前を変えて保存するのか上書きするのか、画面が狭くて暗くて見づらくて操作がやりにくかった。
で、文章の直しで頭がいっぱいになっているとつい上の空、保存に失敗。
つまり書いたもの全てが消える……という、あまりにも恐ろしい現象を起こしたことが何度かある。
たぶん、小説でもエッセイでも何でも、文章を「打ち込む」方なら1度や2度はやったことのある失敗だろうと思う。
私もそのイタさを良く知っているだけに、とにかく「マメに保存」を座右の銘としてきたくらいである。
それが……
先日、久しぶりにやってしまった。
もう狭い液晶のワープロではなく、普通にパソコンに載せた一太郎なので操作も間違えにくいが、ときにぼんやりと上書きしてはいけないところでしてしまったりはある。
ただ、そういう自分の手落ちはなくても、パソコンの不具合はしょっちゅう。今回もそう。
急に一太郎がウンともスンとも言わなくなった。「応答していません」とのメッセージが出たまま薄文字になってしまい、カーソルがくるくる回り続けるだけ。
え~~~っ。
よりによって何で今! というタイミングだった。
何かノッてきて、ついつい「マメに保存」せずに30枚ほど書き込んだところ。あと3行でエンドマークがつく、そうしたら保存しよう、と思っていたときなのである。
久しぶりに心臓がきゅっとなって、それまでの2時間の集中が無になる悔しさがふつふつ、その後の打ち直しの手間を思うとウンザリしてしまい……
その何十年か前のときは、若かったので直前に打ち込んだ数十枚を、ほぼそのまま思い出して叩き打つことができた。
でも今現在はとてもそんな体力気力記憶力全てなし。一語一語、一行一行、工夫しながら、しかも私にしては珍しい表現を思いついたまま書き込んだ30枚なのだ。思い出せる気がしない。
……待てよ。
確か「自動バックアップ」機能というのがあったはず。ただしそれをオンにしていたかどうかは定かじゃない……確かめるにはこの薄文字になっている一太郎を一度落として再立上げしないとわからない……
ダメだったらどうする? い・や・だ~!
あまりに動揺した為、現実逃避。
席を立って、ごはんの下ごしらえにかかった。包丁を動かしているうち、「しょうがない、書いたことを少しでも思い出しながら書き直すしかない」と覚悟が決まった。
そしてエイヤッと薄文字の一太郎を再立上げしてみたら……、
最後の2単語くらいが反映されていなかっただけで、ほぼ無事に残っていた……神様、ありがとう。
暑い中、肝が冷え、背筋が寒くなった。ヘタな怪談より怖い。寿命が5年は縮んだと思う。
別に仕事じゃないし誰も困らないのだが、納得いった出来のものが影も形もなくなるのは、ショックが大きく悲しすぎる。
自動バックアップ機能のオンを、もう一度しっかり確認したのは言うまでもない。
(了)
↓「兄弟/姉妹」がお題の短編です。14分で読めます。
↓「雨音」がお題の超短編です。2分で読めます。珍しく童話テイスト。
↓「ドキドキの理由」がお題の短編です。11分で読めます。ちょっとだけ時代劇絡み。



