物語をちゃんと創ってみたいと思い立った大昔、シナリオの書き方を習う学校へ通い始めた。
当時は会社も辞めており、昼間の空いたコースに行けた。少人数だったから聞きたいこともすぐに先生や仲間に聞けて、疑問の解決以上の勉強になる話もたくさんできた。こういうときの雑談には結構なヒントがあると思う。
現在はシナリオではなく小説に挑戦中だけれど、基本は似ているので、あの学校で学んだことは血となり肉となっているなあと感じることしばしば。
翻ってみれば、親に学費を出してもらって当たり前にサボっていたバチ当たりな学生時代。でも社会に出てからの習い事というのは「お月謝を払うんだからその分は絶対に取り返す!」という意欲に満ちる。
シナリオ学校も決して安くはなく、だから、例えるならバイキング形式の料理で限界を超えても食べまくって腹を壊しても元を取る! くらいの姿勢で臨んでいた。
というわけで、毎週キッチリ課題を書いた。
書いてこない受講生の方も多かったけど、私自身はもったいない精神の権化だったので、面白くもない話でも起承転結がおかしくても辻褄合わずとも、とにかくせっせと仕上げては持って行った。
その学校では書いてきた人が自分のシナリオを読み、参加者が批評する、という形式を取っていた。
他に誰も書いてこないことが多くて、いつも私ばっかり読んで私ばっかり批評されるという、腑に落ちない状況で……でも、今思えば超贅沢な、勉強独り占め状態だった。
批評されるのは怖い。酷評もたくさんいただいたし、腹の立つ言い分も結構あった。でも、自分ではわからない独りよがりがたくさんあるということを知ったのもこのときだった。
そんな盲点を教えてくれる、それを直せば前よりいいシナリオになる。そういう「良い」指摘と、こちらの心を折るだけの「悪い」指摘を取捨選択できるようになったのもこの頃。「悪い」のは、くだらないイチャモンとして無視していい、と割り切れるようにもなった。
そうやって上級クラスに進んでいったあるとき、地方へ引っ越すことになった。もう通学はできない。というわけで、通信講座に切り替え、一人で書き、送り、赤ペンで添削して返してもらうという形に変わった。
通学日までに書かねば、という締め切り意識もないし、孤独だし、ついついペースは落ちた。でも、何とか出して添削が返ってくると、数行の赤ペンの褒め言葉が嬉しくて「またやるぞ!」という気になったものだった。
このご時世なので、オンラインの講座もできたらしいから、今ならいつでもどこでも勉強はできる。無料ネット小説サイトも充実しているから、仲間を作ったりアドバイスをもらったりとかも簡単にできる。
そもそも物を書くという作業は、基本一人。基礎も才能もある方は学校やらサイトの助けがなくても自己流でどんどん進化できるのだろう。
でも、私なんかは何か縛りがないといつまでも書き始めないし、どこどこまでも怠けてしまう。通信や無料サイトのように放っておいても何も痛くない状況下では何年も一作も書けないなんてこともあり得る。
なので、リアルに学校に通えた時期があったことは貴重だと思っている。
(了)
↓「雨音」がお題の超短編です。2分で読めます。珍しく童話。
↓「ドキドキの理由」がお題の短編です。11分で読めます。ちょっとだけ時代劇絡み。
↓「レンタル○○」がお題の短編です。10分で読めます。
↓「芽生え」がお題の短編です。10分で読めます。