ごく親しい人以外に、小説やシナリオを書いていることは言っていない。
「つまらない」等の感想が怖いわけじゃない。浴びるほどもらったことがある経験上、まあまあ耐性があると思う。
たとえば昔に通ったシナリオの学校。書いたものを自分で読んで、他の参加者に批評してもらう形を取っていた。否定的な感想や意見もよくいただいた。
更には、プロの編集者に読んでもらえる機会もあって、そこでも山ほどダメ出しをもらった。
まあ、慣れるかと言えばそうでもなく、今でも好意的でない感想をもらうと凹むには凹むけど。
それでも「その方が絶対良くなる」種類の意見を選別することはできるようになったと思う。いわば傷つくだけの無意味な感想をスルーすることに慣れた、と言えるのかもしれない。
それでも、そこそこレベルの浅い知り合いには、創作していることは言わない。
というのは、「誰でも1つは小説が書けるって言うよね~」と言ってくる人が思いの他多いから。これを言われるとなかなかにひるむので。
何というか、「誰でもできる」ことを何年もずーっとやってるの、へええ。とか、「誰でもできる」からちょっと触ってみてるわけね、とか。
「意味のないことしてる」と言われているような気がしてしまうのである(発したご本人に全然そんな気はないとしても)。
それはともかく、「誰でも1つは書ける」という世間の通説のようなその一言、ちょっと違う気がしている。
誰でも「書ける」のではなく、正しくは、誰でも「ネタを持っている」だと思っている。
以前、いろんな方にこれまで経験してきたことや考え方などのお話を聞き回る機会があった。大体みんな「私なんて普通よ」とおっしゃる。でも、ドラマチックじゃなくたって、それぞれの方に聞き入るような逸話が必ずあった。そのたびに「平凡」とか「人並み」とひとくくりにできる人なんて、一人もいないんだろう、と思ったのである。
それぞれがそれぞれに違う。それはSNSをのぞいても思う。何かにめちゃくちゃ詳しかったり、一言でその体をバーンと言い表せたり、熱意を独自の行動で示せたりと、本当にいろんな方がいる。
「みんな違ってみんないい」と金子みすゞさんは言ったし、「世界で一つだけの花」とSMAPも歌っていた。
だから、どんな人でもその人の辿って来た人生が、他にない唯一のドラマ。それが小説のネタになり得る、ということだと思う。
だから、あとは書き方を習うだけ。といっても今の時代、こういう形式じゃなくちゃダメ、という枠はないと思う。ただ、他人に読んでもらえるコツという意味での書き方はあるように思う。
そうして、小説は誰でも1つ以上書ける、ということになるんだと思う。
(了)
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