このコロナ禍のホームステイの間、昔買っった推理小説を引っ張り出しては読み直していた。
その中で、おや、と思った点があった。以前読んだときは気にも留めなかったこと。
ざっくりあらすじを書くと、
大金持ちの爺さんが死んでしまったことを隠したい親戚が数人いて、〇時まで生きていたことにしようと画策。そのためにわざわざコーヒーをルームサービスで取って、飲んだ後に死んだことにするため中身も添付のミルクも捨てた。でも、探偵役が、そのスプーンに着目。その爺さん本人が本当にミルクを入れて飲んだなら、かき回したはず。なのにスプーンには使用した跡が残っていなかった、おかしい、と指摘するのだった。
……うん?
実は私、コーヒーにミルクは入れるがかき回さないのである。知人の影響で、ミルクを入れたときにコーヒーと相まって行く模様を見るのが好きなのだ。
以前はこの点が気にならなかったということは、多分この小説を読んだより後に身に付いた習慣なんだろう。
だから、コーヒースプーンにミルクやコーヒーの滴跡がついていないと指摘→犯人が焦る→ぼろを出す……との流れに、今だと「?」となってしまったのだった。
なぜ「ミルクを入れたがかき回さないで飲んだ」という言い訳が出てこないのだろうか、と。
私のような習慣の人間の方がごく稀なのだという証明なのかとも思う。
ただ、書く立場としては、ちょっと怖いな、と思った。
自分が稀な人間だと気付かずに、それが一般的だと思い込んで書いたもの。
それは、世間の感覚とズレてしまう。
たとえば、時代感。
現代はあらゆることがものすごいスピードで動いていて、自分が若い頃の常識はほぼ通用しない。だから若い人を主人公にした物語で時代錯誤的な明らかにおかしい状況設定をしてしまうことが、割とよくあるのである。セリフ回し、言葉遣いに至っては、次世代の協力を得ないと死語ばかり。
昔なら、自分がズレていても世間の価値観は割にわかりやすかった。
みんなが石原裕次郎を好きで、みんながピンクレディを歌った。みんなが出世したいし、みんなが車やマイホームを買いたい。
男は仕事、女は家庭とか。酒の飲めない男や料理の作れない女っておかしい、って感覚とか。
だから、極端な例だけど、エクレアがなぞの紛失をしたとして。
昔なら「男なら、甘いものより隣りにあった年代物のスコッチを手に取るはず」みたいな感覚があったんじゃないか。「だから犯人は女だ!」という物語にしてしまう可能性あり。時代設定はバリバリ現代にしてあるのに。
当然読者はしらけるだろう。
これぞまさに独りよがり。ものすごくやってしまいそうで、……怖い。
(了)
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