ラストを決めてから書く(20/10/25) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

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日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 「私は最後がきまらないと書けないんですよ。最後が要るということは、中間が要るし、初めが要るし、ということですよね。『最後がわかっている』ということは、『テーマを俯瞰している』ということです。」(出典:「大阪づくし 私の産声」山崎豊子)

 

こんなすごい作家さんを引き合いに出すなんて、おこがましいにもほどがあるけど。でも、このことだけは同じ。私も物語の最後が決まらないと何一つ書けない。そこから遡って考えないとプロローグすら始められないのである。

 

なので、何年もに渡る連載漫画とか、新聞の連載小説とか、人間業とは思えない、と尊敬している。


もちろん、何となくラストはこういう方面、例えば大団円とか、救いようのない悲劇とか、ざっくりとは決めてあるのだろう。それにしたって、何年ものスパン、膨大な枚数。そこにたどり着くまでは長い道のりだ。

 

私なら、途中で自分がどう書こうとしていたのか忘れ、思い付きで妙な人物を途中出場させたりとかで整合性がつかなくなり、気付いたら思いとは全く違う方向の流れに、だから最初の方で伏線のつもりで入れたエピソードが何も用をなさないただの横道に逸れた雑談でしかなくなって――とか、惨状が惨状を呼ぶ。

 

何度か長編小説に応募したこともあるが、そのようにしてよくドハマりした。エンドマークをつけてホッとし、さあ推敲だ、と読み直して青ざめる。慌てて修正を入れると、次から次へドミノ式にあれもこれも変えないといけなくなり、わけわからん、どうしたらいいの、となる。

 

そればかりが理由ではないけれど、最近は短編小説を書くことが多くなった。ラストまでの道のりが短い分、そこに向かって忘れる前に真っ直ぐ突き進むことができるのがいい。


でも、一般的に短いから長編よりは楽だろうと思われがちだが、これが奥が深い。

 

短いから、余計なものを書き込む余地がない。エピソードを入れるなら必然性がないと文字の無駄遣い。


例えば、主人公が喫茶店でお茶を飲んだ、というシーンを入れるならば、その窓から殺人シーンを見てしまうとか、ウエイトレスが実は主人公の幼なじみだったとか、とにかくストーリーに影響するものでないと、短い中で収まらないのだ。

 

これが難しい。でも、だから面白い。

 

まずラストを決めて、それに一直線に突っ走るために、必要なエピソードを厳選。


例えば、ラストは主人公が殺される、と決めたとする。

それに向かって犯人とか共犯者とか恨み辛みとか人間関係を考える。そして喫茶店で殺人事件を見てしまう発端が決まり、その共犯者が実はウエイトレスで、主人公の幼なじみだということを利用して近づいてきたという転の部分が整う。その間を厳選エピソードで埋めていく。

 

で、それらを組み立てる際、いかに一つのエピソードが次のエピソードを呼ぶ不自然のない数珠つなぎにするか。

いつもいつもそれを考えながら書いている気がする。パズルのように、ああでもないこうでもないとハマり箇所を探すのである。苦労するけど、うまくいくとこんな爽快なことはない。

 

ただ、ラストを決めて書くのが苦手だとおっしゃる方にも多々出会った。もちろん人それぞれであって、書き方にもタイプがあるのだろう。

 

(了)

 
 
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