最近の年末年始は第九を始め、結構クラシックを聴くようになった。
その度、オーケストラのバイオリンなどの弦楽器に不思議な感覚を覚える。演奏したことがないせいか、とても何かをこすって出しているようには思えないその柔らかい音色が、どうしてもイメージと一致しないのだ。
おそらく音楽や楽器にずっと馴染んでいなかったせい。
ポピュラーでもクラシックでも聴くのは好きだし、カラオケで歌うのも好き。
でも子供の頃は、音楽という物に近付くことに一種の怖さを持っていた時期があった。
小学生のときである。
クラブではないが、放課後に有志で楽隊みたいな練習をしようという動きがあった。親に勧められ、私も参加した。それを率いていたのが音楽の先生だったのだが。
その初日、たぶんコーラスなのかどの楽器を弾くのかの適性を見るためだと思うが、みんなで何かを歌った。私は背が低かったため前の方に並んでいたのだが、いきなり言われたのだった。
「そんなつまらなそうな顔で歌わない!」と。
表情を出すのが苦手な子供だった。今でもあまり豊かとは言えない。で、何度言われても、いや言われれば言われるほど強張ってしまい、「笑いなさい!」などと叫び始めた先生の要望にはますます応えられない。その結果、「あんたなんか一番後ろへ行きなさい!」と、ヒステリックに追いやられてしまったのだった。
今なら、感情がストレートで自分の思うまま口にも態度にも出てしまう方だったのだろう、と想像できる。音楽という専門だから感情が優先するのは長所なのだろうと納得もできる。
けれど子供の私にはあまりのショックで、その有志による演奏活動には二度と参加しなかった。
元々私は音程が不確かで、いわゆる音痴というヤツである。皆の前で一人ずつ独唱するテストなどは、いつも失笑されるか先生に「あら音程おかしいわよ」と言われるか。そんな苦手科目だった。でも嫌いじゃなかった。
けれど、「後ろへ行きなさい!」事件から、音楽に近寄ることが怖くてたまらなくなった。自分がつまらなそうな顔をしていて笑顔をはっきり出せないということもそのときまで知らなかった。それが誰かを不快にさせ怒らせるなんてことがあるということも初めて知った。それがとてもショックだったのだ。
数十年前のことだけど、ハッキリ覚えている。たぶんその先生には日常茶飯事だろうから忘れているだろうけど。
年月を経て、いわゆる厚顔無恥な部分が増えてから、私もボチボチ音楽に近づくようになった。そして何かの楽器ができたら楽しいだろうな、と思うことが増えた。もしも人生の初期に音楽のそういう楽しさを知れば、もう少し自然と「つまらなくない顔」「笑顔」が出るようになったかも知れない、などとも。
音楽は音を楽しむと書く。あの先生の言ったことは、音楽をやっているうちにきっとそうなる、という点では多分正しかった。
でも、楽しいと知る前に笑顔を要求されても、それは順序が逆だったのじゃないかと思う。無理無理笑顔を作っているうちに本物に変わる、ということもあるかもしれないが、そうじゃない教え方をしてくれていたら。
ひとつでも使いこなせる楽器がある。それだけで、きっとたくさんの豊かな思いができた。今から始めても遅くはないだろうが、あの年頃に身につけるのとは全然違う意味合いになると思う。
(了)