福袋の季節。
昔は何が入っているかわからない、というのが主流だった。だから売れ残りをまとめて詰め込んでるんだろうな、どうせ見えないからそれらを一気に在庫処分する気なんだろう、と疑ってかかっていた。
私は昔からそういう疑い方をする性格なのである。
けれど、何が入っているのかわからないのに○万円とか出す気がしなかった私でも、今年は買ってしまった。生まれて初めて。
その福袋デビューは、ゴルフの衣料品6点セットである。
何年か前、知り合いの買った袋を見せてもらってからずっと気になっていた。その知り合いはいまだにそれらを重宝しているものだから。
そしてついに今年、私がゲットした中身は、帽子、ソックス、ネックウォーマー、シャツ、インナー、そして防寒アウターの上下。すべて某スポーツブランド物である。
ゴルフをやらなくても普段使いできる、お洒落で機能的なものばかり。しかも近年は買う前に中身を見せてくれる。今回、試着までさせてもらってしまった。
正当なお値段と比べると、控えめに見積もっても5分の1くらいと思われ、大満足のお買い物だった。
でも、同じように中身を知らされ、かなりのお買い得、というセットでも手が出ない物もある。
行きつけの喫茶店のコーヒー豆セット。何回か分のコーヒーチケットとコーヒー豆の詰め合わせで、なかなかに魅力的ではある。
でも、これに関しては疑り深さが覆っていない。そのコーヒー豆、売れ残りなんじゃない? かなり古いものなんじゃないの? と。
食べ物の福袋となると、そういう点で衣料品とは違い、二の足を踏んでしまう。結局、正規の値段でフツーのを買います、となって終わった。
それでも自分の疑り深い性格、歳と共に大分丸くなってきたんじゃないかとは思っているのだが。
中学生の頃、初めて塾に自分でお金を納めに行った日のことを覚えている。確か入会金の4万円。中学生にとっては大金だった。
その封筒を鞄に入れて電車に乗って塾へ向かった。途中誰かに狙われたらどうしよう、と心配で心配で、何度も鞄に手を突っ込んでは確認した。
その何度目かのとき、4万円の袋が指に触らない。鞄を大きく開けたりひっくり返して探したりしたら、周りの人に大金を持っていることがばれちゃうんじゃないか。そう思って姿勢は変えず必死でごそごそ手探り。でも指に触らない。
座っていた席で、じわーっと涙が溢れてきた。「お金、取られちゃったんだ……盗まれちゃったんだ」と。
今思えば、どんな奴がどうやったらそんな離れ業ができるんだ、とすぐにわかるはずだけど。疑り始めた中学生の疑念は膨らむばかり。
どいつだ、誰だ、と周り中の大人を一人一人涙目で睨みつけた。みな知らん顔をしている。悔しくて更に涙が出た。塾へ着いたら先生に訳を話さなきゃ、でも信じてくれないかも、と、また疑いは広がる。
しかし、結果としてお金はあった。あまりに周りを疑って何度も封筒を触ったため、鞄の奥の奥に入り込んでしまったという、何ともバカバカしいオチ。
今はそれほどのアホではなくなったものの。丸くなってきた、というか常識的レベルに近くなってきたはず、と思いたいものの。
そのとき以来、自分のことが誰より疑わしい。もう○十年、何かあるとすぐにヤラカシテシマッタ、自分のバカバカバカ、と思ってしまう。それがまた次の失敗を呼ぶ。
自分に自信が持てにくい人生を送ってきたのは、他にも理由はあれど、そういう疑り深い性格のせいもあるかも知れないな、とも最近思う……。
(了)