持論~それは「リング」が境目だった?(2019/9/15) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

大変昔のドラマで恐縮だけれど、「太陽にほえろ!」という、名作があった。

見たことはなくても、マカロニとかジーパンとかゴリさんとか殿下とか、面白いあだ名で呼び合う刑事達のドラマだったことは、よく知られていると思う。

刑事という仕事の誇りと信念。起こる事件を通して人間の強さ弱さ、情や欲などをあぶり出していた優れ物。
 
とても好きだった。毎週欠かさず見ていた。子供の頃は「ボンボン刑事が好き」だから見ていたに過ぎなかったが、今ケーブルなどで再放送されているのを見直してみると、本当に良くできた奥深いドラマだったと感心する。
 
それでも、このドラマで好きじゃなかった点がある。今の時代からすれば袋叩きに遭いそうなことだから、おそらくそう思ったのは私だけじゃなかったのだろう。
 
刑事の仕事に一途な余り、家族が後回しになるという点である。
具体的には、山さんが奥さんの死に目に駆けつけない、長さんが娘の結婚式に間に合おうとしない、など。
どちらも、行こうと思えば行けた。同僚に任せても構わないのに、自分がやらねば、と、仕事場を離れなかったのである。
仕事では代わりはいても、夫や父の代わりはいないのに、である。
 
これが美徳と思われていた時代だった。仕事が第一、家族を愛してはいるが仕事の方が優先。男の美学だったのだろう。
 
が、うちの母や私は女である。いざというときに父が駆けつけてくれないとしたら、と、ブーブー文句の嵐だった。
 
この頃は、世の中の風潮がそんなもんで、モーレツサラリーマンは当たり前、会社が一番家族は二番以降なのが普通の感覚だったように思う。「太陽にほえろ!」の脚本も、そういった感覚の方々が書かれていたのだろう。
 
ドラマも本もマンガもそういうのが多かったので、ずっと違和感があった。
 
私の中でそれが覆されたのが「リング」だった。
ラストで長い髪の貞子がテレビから這い出てくるシーンが有名なあれである。
 
私は映画もドラマもちゃんとは観ていないので同じなのかわからないが、原作小説では、主人公が家族を救うためにある決心をする。他の家族を犠牲にするという、めちゃくちゃ自己チューな決心である。
 
「太陽にほえろ!」では、世の人々を救うために家族は犠牲に、あるいは我慢を強いられていた。が、「リング」では全く逆。この行動に、私は大いにスカッとしたのだった。
 
今となっては、ちょっと自己チュー過ぎないか、ってくらいエスカレートしている部分もある時代になったとも思うが。
集団より個を重んじるという風潮に、この頃から変わってきた……「リング」がその境目だったんじゃない? とは、私の勝手な持論です。
 
(了)

 

 
 

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