自殺を食い止める。あるいは説得に東奔西走する。妻の態度が冷たくなったと思ったら死期が近く、その後の夫を心配してのことだった。等々。
最近の小説やシナリオコンクールの傾向は、そんな感じで「死」を扱う話がブームだということである。
選評をいくつか読んだ。
自殺関係物がとても多く、そういうテーマを書けば入選する、などと思われては困る、とか。
応募作の実に8割が、主要人物が死ぬ。死にすぎる。本当にそれが、その物語を語る上で必要なことかよく吟味して欲しい、とか。
私自身、苦い思い出もある。
2年前、あるコンクールに応募するつもりの作品を書き上げたとき、その前年の選評を読んだらそんなだった。げっ、と思った。ご多分に漏れず、オチが「実はこの人は死んでいた」というものだったのだ……。書く前に読んでおけばよかったと、深~~く後悔。
とにかく何とかしなくては、と、死んだのではなく、膨大な借金を苦に夜逃げして音信不通、という設定に変えた。けれど明らかに無理な展開となり、自分でも「ダメだな、こりゃ」とため息が出た。もちろん落選したことは言うまでもない。
昨今の映画や書籍の売り文句として、「泣ける話」がやたら氾濫しているように思う。受け手が思い切り泣きたい時代なのか、わかりやすいキャッチフレーズだからなのか、とにかく多い。
誰かの言葉を思い出した。人が泣く理由は、死とか別れとか誰にでも共通するものが多いので、共感しやすいのだと。笑うツボは、人によりかなり多岐に渡るので笑わせる話を書く方が難しい、のだとか。
だから、コンクールに応募するような初心者が、「泣ける話」を自分の経験などに基づいて書くことは、間違ってはいないと思う。それがたくさんの人に響く話になる可能性は高い。
ただ、こんなにあちこちの選評で「多い」と言われると、「求ム、違うモノ」ということなのかと思う。それでもこれが書きたい、とこだわるなら、よほど味付けが上手いか、キャラが立っているか、背景が特殊か等の抜きん出た何かが必要と思える。
コンクールに応募する以上、せめて最後まで読んでもらいたい。「またか」と思われてそこで切られてしまうのは残念だ。
というわけで、抜きん出る要素のない私は、人が死なない話を書くしかないと思った。既に死んでいるという設定の人はいても、登場人物は死なせないと決めた。
そんな中で、何かの「感動」を書けるか。読み手の気持ちのどこかを揺さぶることができるか。最後まで読んでもらえる話を創れるか。
それはそれでなかなかハードルの高い挑戦であり、日々悪戦苦闘している。
(了)